やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

二度目の「3.11」のあとに

 

ハタチを過ぎてからの自分の30数年間を振り返ってみたら、

国内と海外の生活がちょうど半々くらいでした。

 

オトナになってからは時間の半分は日本に居なかったことになるけれど、

北海道の父が亡くなった時はちょうど日本に住んでいて、

父の突然の発病から、手術、闘病、そしてお別れまでの全てが、家族4人で日本に住んでいた2年4ヶ月の間の出来事となったことは、今、考えても何か不思議な力が働いていたんじゃないか、と思えたりもします。

 

その後も

あの未曾有の大災害、2011年の東日本大震災のときもたまたま日本に帰国していたし(アラブの春の混乱のためエジプトから救帰国中で)

 

今回の新型コロナウィルスで世界中が騒然としているこの時期も、しっかり日本にいます。

なので今年の、震災から9年目の「3月11日」も、あの日と同じ埼玉県内の夫の実家で迎えました。

 

 

9年前のあの日は、子どもたちと近所の公園にいて公園全体がゆっさゆっさと揺れるのを感じ、慌てて家に帰りました。

家に戻ってしばらくすると、テレビには信じられない光景が映し出されました。

 

その後計画停電だんだん棚がスカスカになっていく近所のスーパーでの買い物・・・

それでもその時「エジプトからの退避帰国中」だった私たちは、向こうのようすが落ち着いて来たらエジプトに帰国

あちこちで暴動が起こっていたカイロに戻ると、スーパーには溢れんばかりの商品が並んでいて、びっくりしたっけ。

 

その後はまたしばらく海外生活が続いたので、震災後初めての「3.11」はカイロで迎えました。

その後もカイロ、ブダペスト、エドモントン・・・3月11日はずっと日本にはいませんでした。

 

なので2019年。

去年の3月11日は、あの日以来、初めて日本で迎えた「3.11」でした。

 

去年の3月11日、なんだかその日に日本に居る、ということに妙にドキドキして

どうしたらいいのかよく分からなくて、あの時間になる少し前にあの日と同じ近所の公園に行きました。

子どもたちには声はかけず、(いや、声はかけたけど二人とも「行かない」って言ったんだったかな?)一人で公園に行き、あの日と同じようにブランコに座りました。

あの時は、私の隣のブランコにみどりが座り、私たちの前では当時4歳だった草太が「即興オリジナル桃太郎」のお話を得意げに話して聞かせてくれていました。

 

いきなりのあの揺れは本当にびっくりしたよなー・・・

でも、ブランコに座っていたから、最初は微妙な揺れに地震とは気づかなくて、

草太の話聞きながら船漕いじゃったのかと思ったっけ・・・

 

そんなことを思い出しながら、ひとりでブランコに座っていたのが1年前。

 

 

今年も再び巡ってきたこの日の午後、なんとなくソワソワし始めた2時40分すぎに

一人で公園に行ってしまいました。

 

ところが。

今年は公園に近づくと子どもの笑い声が。

 

女の子が二人、何やら楽しそうに笑い合いながらブランコを漕いでいます。

 

この公園のブランコは二人がけのものが2つ。

4人で並んで使えるようになっていて、私の指定席(9年前も去年も座っていたブランコ)はちょうど空いていました。

 

いきなり公園に現れたオトナが、一人でまっすぐ歩いてきて、

自分たちが遊んでいるブランコの横に腰を下ろしたので

「え?なになに??」という感じで急に静かになってしまった二人の女の子。

 

明らかにこちらを気にしているようすでおしゃべりもやめ、黙々とブランコを漕いでいるので

「何年生?」と声をかけると。

 

「2年生」

大きな方の子が答えました。

 

小さい方の子は妹で、まだ学校には行っていないとのこと。

 

 

再び しーーーーーーーーん。

 

 

 

で、思わず聞いてしまいました。

 

「2年生かぁ・・じゃ、ずっと前の今日、すごく大きな地震があったこと知ってる?学校で聞いたことある?」

 

立ち漕ぎをしながら、首をブン!と縦に振る女の子。

 

「そっかーーー。」

 

 

再び しーーーーーーーん。

 

そして

 

「あの地震があった時、わたし、ここにいたの。」

 

何を血迷ったか、突然現れたオトナを持て余し、多分(間違いなく)早くいなくなってくれーー・・・と思っているだろう小学校2年生の女の子に、私はそんなことを言ってしまいました。

 

言い終わらないうちに「・・・やっぱ、やめとけばよかった💦」と頭の中で自分の声が。

でもまあ、言ってしまったわけで。

 

 

しーーーーーーーーーん…

 

 

黙々とブランコを漕ぐ二人を前に

これ以上ここに居ると、ほんっとこの子たちに悪いわ・・・と急に申し訳ない気持ちになった私は、えいやと立ち上がりながら

 

「学校、ずっと休みだと退屈になっちゃうよね。・・・・でも、ちょっと嬉しかったりする?」

と、できるだけ身近な(?)話題を、さっきのしょーもないつぶやきにかぶせるようにして2年生の子に向けてみました。

立ち漕ぎから座り漕ぎに変えて「うん。」と今度は声をだしながら、もう一度首をブン!と縦に振ったその子は、なぜかこっちをじっと見ていて・・・

 

 

なんだかよく分からないけど、ここはもう私はさっさと帰るに限る。

 

そう思って、公園をあとにしました。

 

私の姿が見えなくなったと思われる場所まで来たら

止まっていた時計が動き出したかのように、柔らかなおしゃべりと可愛らしい笑い声が聞こえてきて・・・

 

うわっ

わかりやすっ!

と思わず心の中でつぶやいてしまいました。

 

まー、そりゃ警戒するっていうか、

どうしましょう・・・って思うんだろうな〜、きっと。

 

 

来年のこの日も、きっとここに居ると思うから

私はまたこの公園に来てしまうかもしれない。

 

まぁ来年は子どもたち、まだ学校から帰ってきてない時間のはずだから、またここで誰かと鉢合わせることはないと思うけど。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ただでさえ、色々な思いが渦巻くこの時期なのに、

今年はこの翌日に

 

WHO事務総長が新型コロナウィルスの感染状況について、パンデミック(世界的な大流行)という言葉を使い、

 

その全く同じ日に、ギリシャでオリンピック聖火の採火式が行われ、聖火リレーがスタート・・・

 

 

あぁ・・・つらいなぁ

 

もうやめてしまえ、とか

冷静に考えると無理じゃない? とか

でも、無くなるなんてあり得ない・・・とか

 

 

いろいろ、いろいろ聞こえてくる。

 

ウィルスより経済停滞が怖い とかも 

 

 

こんな状態がいつまで続くんだろうと思ったら、本当につらい。

 

いったい何に試されているんでしょうねえ・・・私たちは。

悔しいけど、負けたくないなぁ・・・

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 何が「負け」になるのかも分からないけど

せめてこの先、どんなふうに流れていったとしても、

何年か経って振り返ったときに

「あんなこともあったよねえ」と言える自分でありたい、と

今はそう思ってます。

 

 

 

 

 

4年に一度の・・・

 と言うと、今 多くの人が思い浮かべるのはやはりオリンピックかもしれません。

 

そのオリンピックがある年には(正しくは「夏のオリンピックがある年」ですが) 2月29日があります。

 

4年に一度しかない2月29日

 

2008年2月29日に亡くなった父の命日は、だから

4年に一度しかやって来ません

 

今日、2020年2月29日は父の3回目の命日。

 

自分の命日がそんなレアな日になるとは思っていなかったと思いますが、

さらに父は、生前から「葬式はやらん。坊さんも呼ばないでいい。墓もいらないから沖縄の海に散骨してくれ。」と宣言しており、そんな父の希望を、母はじめ父を大切に思っていた人たち全員がみごとに全て叶えたので、実家に帰っても父のお墓はありません。

 お寺さんにもお世話になっていないので、戒名とかもないし、◯周忌の法要とか、そういうのも無し。

 

 大学を出てからは一緒に住んでいなかったし(実際はその前にマレーシアに行っていたのでその期間も離れて暮らしていたし)退職後、父は一年の半分は沖縄で暮らしていたので、大人になってからは圧倒的に《離れて暮らしていた歴》が長く、

実家に帰っても「必ず会える人」じゃなかった、という印象の父。(帰省しても私が遊び歩いて家にいなかった、というものあるな😅)

 

 で、子どもを連れて帰省しても「じゃ、お墓参りに・・・」とはならないので、

亡くなってもう10年以上も経つのに、なんだかまだ沖縄あたりをふらふらしているような…たまたま長い時間会えていないだけのような…、そんな感じでどんどん時間が流れていっている気さえします。

 

 そして迎えた3回目の命日の今日。 

いままでは、父とのお別れ会の時のDVDを家族揃って見るという形で、4年に一度、みんなで父を思い出す日にしていたのですが、今年はなんとなくそういうのとは違う2月29日にしてもいいような気がして、

あえてDVD鑑賞会をみどりに提案はしませんでした。

 

代わりに。

いい天気だったので、近所をぐるっとジョギング。

退職するその日まで、体育教師として、自分よりずっと体の大きな高校生に体育の指導をしていた父を偲ぶ日にふさわしいんじゃない?なんて思いながら。

 

せっかくなので、走りながらたぶんきっと4年ぶりに(💦)父のことをあれこれ思い出してみました。

 

 生徒のピアスは絶対何があっても許さない堅物教師だったくせに、自分は退職した途端いきなり髪を伸ばしてロン毛を後ろでまとめたりしてたよな・・・ とか

 

《水戸黄門》や《遠山の金さん》なんかの毎度毎度同じ展開のドラマは大好きだったけど、三谷幸喜の《ラヂオの時間》の面白さには全くついてこれず、途中で「なんだこれは、わけがわからん!」と鑑賞放棄をされたっけなー とか

 

 あれだけ人の顔と名前を覚えるのが苦手な人が、よくがんばって長年教師をやっていたよな〜 とか

 

 「マルちゃん(東洋水産)の味噌ラーメン」だけは自分でよく作って食べていたけど、先に丼にバターを入れておくことと紅生姜をトッピングするのはあれはいったいどういうこだわりだったんだろう? とか

 

 小さい頃の冬のある日、電柱に雪玉を投げてぶつける遊びをしていた(けれど、子どもゆえコントロールが下手くそで電柱には当たったり当たらなかったりだった)私と妹に「なにやってんだ? あれに当てるんだろう? こうやってちゃんと狙って投げればいいだろうが・・・!」と、投げる玉投げる玉、全部電柱にヒットさせ、我が子のコントロールの悪さに動揺しまくっていたっけな〜 とか

 

 50を過ぎてからのセリカXX、そしてホンダ・ビート・・・あの車好きはなかなかだったよなぁ〜 とか

 

いや、父のことをこんなふうに思い出すなんて本当に久しぶりだったので(・・・というか、たぶん4年ぶりだったので💦)あれこれ出てくる出てくる。

 

4年に一度の命日ってのも、悪くないかも。

 

なんて都合のよいことを思いながら、亡き父を偲んだ4年に一度の2月29日でした。

 

さて、来年・・・じゃなくて次の2月29日はどんなふうに過ごそうかな。

 

この数日間で思うことあれこれ

 

 ここ数日で、世の中ずいぶん大きく動いていますね。

 

 数日前からまさに「刻々と」という感じで周りの空気感が変わってきましたが、

個人的には

2月24日(月)『マハティール首相辞任』のニュースが「日替わり衝撃ニュース」始まりでした。

 2年前に当時92歳のマハティール氏がマレーシアの首相に返り咲いたときもそれはそれは驚きましたが、その2年後のこの時期にまさかの辞任??だって自分が取り組むていた『ビジョン2020』の、 、は新型コロナウィルスのニュース一色だった日々に大きなインパクト。(なにやらまた復帰説も聞こえてきているようですが)

 

 そしてその翌日2月25日(火)の夜に

『ムバラク元大統領死去』

 私たち家族にエジプトからの二度の避難帰国を体験させてくれた張本人、と言っても過言ではない人。

 久々に聞くその名前に、うわ〜〜 ・・・っとお腹の中から何かがぐぐって上がってくるようななんとも言えない感じがして、そろそろ起きる頃かな?という夫(カナダのエドモントンとは16時間の時差があるので)に《ムバラク元大統領亡くなったってね〜〜〜》メッセージを送っておいたら、ややしばらくしてから返事。

 見ると、ムバラクのことには触れず、

 

《来週の一時帰国なくなりました》・・・

もちろん、今回の 『新型コロナウィルス』の影響。

来年インドに赴任する夫の派遣前研修。

3月上旬に国内の研修センターで約一週間の日程で行われる予定でしたが、

いや、研修は予定通り行われるそうですが、

海外在住の対象者は今回は参加しないことに。(一部オンラインの参加もあるようですが)

まぁ現状では、研修に参加したとしても、その後、自分の赴任国(夫の場合はカナダ)に帰れない、入国させてもらえない・・・? ということも本気で心配しなければならないので致し方ない決定だとは思います。

思いますけど〜、

研修参加のための一時帰国がなくなった、ということは、

その時期に夫と一緒に帰ってきて、ほんの一週間弱だけど久しぶりに埼玉のこの家で寝食をともにする予定だった草太の帰国もなくなった、というわけで。

まあ、ここに一緒にいたときは、色々と・・・あれこれトラブルもありましたが(だから日本ではなくカナダで暮らすことになったんですが)

でも、かれこれ4ヶ月も離れて暮らしていると、

「今度帰ってきたら、あれ食べさせてあげよう」などと、ちょっとしたワクワク感(健全な親心?)も出てきたりするわけで。

でもそれも、本帰国の4月末までお預け。

来週一緒に行く予定だった歯医者の予約も草太の分はキャンセルしなくちゃ、などと思っていた翌日の2月26日(水)

『第3回 定期演奏会の延期が決定』😭😭😭

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 今度の日曜日(3/1)に予定されていた〈ソート・エル・ワルド〉(アラビア語で「花の声」:カイロで活動していた日本人コーラスグループが母体)の演奏会も、ここ数日の急激な流れの中で延期を決定。

 カイロから帰国したメンバーが、今度は東京を中心に、日本でも活動を開始してから三度目の定期演奏会。もちろん私が参加するのは初めて。今まではハンガリーやカナダからの一時帰国のときに飛び入りで練習に参加させてもらうだけだったけど、今回は継続的に練習に参加することができ、ステージ用のドレスまであつらえて、そして本番まであと数日、というところでした。

 でも、延期だから。中止じゃないから。まだチャンスはあるから…と、なんとか気持ちをもり立てていたその翌日の

2月27日(木) 安倍首相の

『全小中高校の臨時休校要請』

ついにキターーーー・・・!

って、つまり、全国の子どもたちみんなが学校に行かずに家で勉強?

みーんなホームスクーリング?

だったら我が家にはあまり影響はなさそうな話・・・と思いきや。

N中等部の秋葉原キャンパスに週1回通っている現在中3のみどりは、

結局このまま、せっかくN中で仲良くなった友だちともう会う機会もないまま卒業、というパターン。

ただでさえ、週に1回しか会えない友だち。でも今週の授業は今の状況を鑑みての「オンライン授業」となったのでキャンパスへは登校せず。来週も引き続きオンライン授業を行うとの連絡あり。

 卒業式に関しては予定通り行う予定というメールが届いているけれど、それも2日前のことなので今後どうなることやら。

 

「卒業式」できないの?

卒業までの大切な時間を、みんなと一緒に過ごすことができないの?

 ・・・・と、いったい何人の人が泣くに泣けない思いで昨日今日を過ごしているんだろう、と思うと胸の奥がぎゅ〜〜〜っとします。

 

 うん、わかる、わかる、その気持ち。

 

 でも。

 

 こうして衝撃ニュースが次々と流れて来る中で、確かにびっくりしたり、え〜?とか言いつつも、実は心のどこかで「あるんだよね、こういうことって」と思っていて。

 

 例えば4年前のブダペスト日本人学校

 直前に学校内で大流行したインフルエンザのために、在校生の半分以上が欠席、卒業生も一人出席できない状態で行われた開校以来初めての会場スカスカの卒業式

そのあとの学校閉鎖。年度いっぱいで帰国してしまう友だちもいる日本人学校で、最後の最後がインフルエンザとの闘いになってしまったこと。

 

 そして最後が尻切れトンボといえば、もうこれをおいては語れない、2013年7月のエジプトからの帰国。例の「アラブの春」のあの時期。日本人学校は6月末からの臨時休校となり、そのまま情勢が悪化し、我が家は夫の所属先の指示で退避帰国(二度目の!)の準備。子どもたちは学校の友だちにさよならも言えず、私も今まで一緒に過ごしてきた友人たち誰一人とも会うことなく、ひたすら荷造りをして(人生初の2晩徹夜)そしてそのまま7月9日に出国。

 いろんなものがブチン!「強制終了」状態。

 そんなことありえないでしょう!?? のオンパレード。

 で、気がついたら帰国していた、というあの記憶がこういうときに蘇ってくるようで

 

楽しみにしていた家族の一時帰国がなくなっても

本当にその日に向けてがんばっていたコンサート(定期公演)が延期になっても

我が子の中学校生活が尻切れトンボのようになってしまっても

 

「あるんだよねー、こういうことって。」

と、ふと思う。

というか、思ってしまう。

 

 

でも、その一方で

「このまま春休みなんてありえない!」とか

「無理!私たちの大事な時間を返せ!!」とか

どうしても思ってしまう子どもたちや先生方の気持ちもすごくよく分かる。

 

そして、

テレビの取材を受け、とても動揺しているという先生方や、目に涙を浮かべている先生なんかを見ると

明けない夜はない!がんばれ!!

と応援しつつ、でも

絶対に無理なことって意外と少ないんですよ(自分が無理と思っても回り続ける世の中に巻き込まれていくので・・・)

などと言ってあげたくなる。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

とにかく、今が正念場とあちこちで言われていますが、

敵が目に見えないもので、それへの決定的な対抗策が見つかっていない以上、かなり無理をしないと私たちには勝ち目はないのかもしれません。

  

もうひとりひとりが

ウィルスに対しては徹底的に自己防衛❢

それ以外の色々なことについては、「できること」「できないこと」を冷静に見極めて限られた状況下でも上手に処理していけるようお互い頑張りましょう。

この機会に、オンライン化など今後必要だと思いつつなかなか一歩踏み出せなかったものに目を向けて、思い切って新しいスタイルに挑戦、作業の効率化を図り本気の「働き方改革」をめざす、というのもいいかもしれませんよね。(あくまでも前向きに、前向きに···😁)

 

大丈夫、きっとまた前のような落ち着いた生活に戻れるから

そう信じながら、私はしばらくは大人しく、でも慎重に

そして、

こんな状況下だからこそ働かざるを得ない方々への感謝の気持ちを忘れずに生活していこうと思っています。

 

 

 さて、明日は大事な日だし。

そろそろ寝ようかな。

 

今年のツリーも去年のに負けず 〜令和になってもあまりにも昭和〜

夫の実家に住み始めて1年ちょっとが過ぎた我が家・・・いや、私と娘。

去年の今頃は夫が子どもの頃に飾っていたのだろう高さ150cmほどのクリスマス・ツリーを発見し、そのあまりの昭和な感じに感動してしまったのですが

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なんとこの家のクリスマス・ツリーは、これだけではなかった・・・

 

別の部屋の押入れの奥から見つかったもうひとつのクリスマス・ツリー。

去年のよりも結構小さめと思われる箱を開けると、

 

そこに横たわっていたツリーは、

小さいだけじゃなくて、明らかに年季が入っていました。

箱から出そうと持ち上げると、折り畳まれた針金の枝からは緑色のプラスチックがパラパラパラ・・・

 

そして、

なぜだか全くわからないけど、オーナメント・・・いや「飾り」がほとんどモール系

 

 確かに私も子どもの頃、家のクリスマス・ツリーに、モールをクリクリとこよって形作ったサンタさんをぶら下げた記憶はあるけど、

なぜにここまでたくさんのモールおじさんが??

 

平成生まれの長女15歳も思わずガン見。

 

なんとなくすぐに飾り付けをしたい、という衝動にかられず、数日間放っておいてしまったけど、でも、このちょっと怖いくらいのレアな雰囲気は形にする価値がある・・・と思って飾り付けしてみました。

 

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 このちょっと怖い感じも、じっと見ていると愛着が湧いてくるかも・・・という気がしないでもない。

 

 さて、来年はどっちのツリーを飾ろうかな。

 

 

 などと考えながら・・・残りあと一週間となった2019年を思うクリスマスの夜。 

 

 

 

 

【川越スカラ座】で 歌って泣いて『レ・ミゼラブル』

埼玉県の川越市に【スカラ座】という映画館があります。

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この令和の時代にあって、完璧なまでの『昭和の香り漂う映画館』

前身は明治時代に開業した寄席だった・・・という驚きの歴史をもち(川越スカラ座 - Wikipedia)、そして、巷の映画館よろしく経営が困難になり、平成の時代にはしばらくの休館期間もあったというこの【スカラ座】ですが、のちに熱いファンたちによってみごとな復活を遂げ、今ではこの川越にはなくてなならない存在・・・に、なっているかどうかはわかりませんが、少なくとも先週、私はここでなんとも素晴らしい体験をさせていただきました。

 

きっかけは10月11日(金)。(←あの超大型台風19号上陸の前日

久しぶりに夫(👈10月7日〜14日まで赴任先のカナダから一時帰国中)と、この【スカラ座】に映画を観に行った日のこと。

 この日観た映画は、あのロバート・レッドフォードの俳優引退作品とされる『さらば愛しきアウトロー』。それなりのアクションシーンもあるけど今どきの映画のような派手さはなく、そしてどこかじんわりとくるものがあり。でも、悲しさ・寂しさよりも清々しさが残るような「あぁ、観てよかった。」と思える作品でした。

 

 で、帰りがけに、劇場内にところ狭しと貼られている個性的な映画たちのポスターをあれこれ観ていると、いきなり見慣れたポスターが目に飛び込んできました。

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あれ〜〜? こんなところに『レ・ミゼラブル』

 

すると、待っていましたとばかりにスタッフさん登場。

「そうなんですよ。『レ・ミゼラブル』は、日本での上映権が今年の12月で切れてしまうので、映画館で観られるのはもうこれが最後のチャンスですよ。」

 

へぇ〜・・・ そんな「上映権」というのがあるなんて知らなかった。

 

「上映初日の12月14日は〈発声可能上映〉と言って、観客も一緒に歌いながら観るんですよ。よかったら是非いらしてください。」

 

 

 実は『レ・ミゼラブル』歴はそこそこの我が家。

最初はGoogle Playで映画を数回観て、

次はブダペストでミュージカルを(・・・ハンガリー語で(^_^;))

そして、カナダのエドモントンでもミュージカルを(こちらは英語で)

その間にも英語の勉強と称してまたGoogle Playで映画観て。

そんなわけで歌える歌えないは置いといて、

でも曲はほとんど頭に入っている。

 

それにしても “映画館でみんなで一緒に歌いながら” ・・・なんて日本らしからぬ雰囲気に興味津々・・・というか、気分はすっかり参加モード。

 

 12月14日(土)をしっかりカレンダーに書き込み、せっかくだから誰かこういうのが好きそうな人を誘いたいけど・・・あ!心当たりめっけ! などと思ったのが10月11日。

 
※絶対、喜んで一緒に行ってくれそうな夫は、12月のこの時期はすでにカナダに戻っているので残念ながら対象外。

 

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この時、頭に浮かんだSちゃんもラッキーなことに12月14日は空いており、

先週土曜日、いざ、小春日和の川越へ。

 

上映時間の30分ちょっと前には、路地奥の【スカラ座】はこんなに人が。

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 通りがかった観光客が「え?今日、何かあるの?」と思わず足を止めるほど。

 

 何度か行ったことのあるこの【川越スカラ座】ですが、124の座席がすべて埋まっているのを(更に後ろに立ち見メンバーも・・)私は初めて見ました。

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座席を確保すると、何やら準備を始める人や

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記念撮影をする人たち。

妙にベレー帽っぽいのをかぶっている人が目についたのは、

きっとエポニーンのコスプレだったのでしょう。

 

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こんなグッズも配られ、もう周りはやる気と熱気でムンムンの雰囲気。

(黄色い紙は「仮釈放証」。ストーリー内の然るべき場面でみんなで一斉に破り捨てましたww)

 

 この『レ・ミゼラブル』の<発声可能上映>、始まりはなんと5年前(2014年)で、今回で7回目とのこと。

 すでに常連となっている人も多く居たようで、その人たちにとっては「これが最後の<発声可能上映>」と感慨もひとしおだったことでしょう・・・

その想いのままに、フランス国旗やら紙吹雪やらクラッカーやらその他鳴り物や小道具いろいろを、これでもかというくらいに準備してきていたようでした。

(一緒に歌うだけじゃなくて、2年前からは“心の趣くままに何やっても良い”、といういわゆるマサラ上映のスタイルもドッキングしているとのこと)

 

 そんな中に、まるで事情も分からぬままに迷い込んでしまったかのような私とSちゃんでしたが、私たちのように「今日が初めて」という人もある程度いて、

 

・・・というか、そういえば『レ・ミゼラブル』の映画を観るのも今日が初めて、という人もいたっけ(笑)

 

つまり、もうなんでもありの極みのような【川越スカラ座】での『レ・ミゼラブル』

 

 

いや、素晴らしかった。

 

もう何度も何度も観ているこの映画、実はスクリーンで観たのは初めてだったんですが・・・

 

いや〜・・・

 

大きな画面での大迫力、という要素は当然のこととして(でもこれはやっぱり映画を観る上ですごく大事だって確信した)

ストーリーが盛り上がってくるとスクリーン前面に舞い踊る紙吹雪

ムチの音や発砲音に合わせて館内に鳴り響くクラッカーやその他の鳴り物。

あんなにぎやかな中でも、あんなにもストーリーに集中できて、映画の世界にすっぽり入り込んでいけるということを実感できたのは大きな驚きでした。

 

「映画と一緒に歌う」って言っても歌詞を全部覚えているわけじゃないし・・・と、こっそりスマホのすぐ見えるところに歌詞を忍ばせておいたけど、そんなの見てるひまあるわけもなく。

 

 もうサビの部分とかなんとなく分かってるところだけ、映画のシーンに酔いながら「発声」する。

 

 でもなんと言っても悔しかったのが、ここなら歌える!という耳によく馴染んだフレーズが流れるのはストーリーの中でも非常に盛り上がる場面で、そんな場面にあの大画面で迫られると胸にぐっときて、声より先に涙が、だーーーーーっっ💦 

 

う、歌えないっ!!

 

 もう何がなんだか分からないけど、これまで観てきた『レ・ミゼラブル』の集大成と称したくなるような2時間40分でした。

 

 みんな(その映画が大好きな人たち)と一緒に観るって楽しいんだなー とか

 映画は静かな中で集中して観ないと感情移入できないってのはうそだな、 とか

 新しい発見もいくつかありました。

 

 あと、やるならとことん!の素晴らしさ

 <発声可能上映>全7回「皆勤賞」という男性は、最初から最後まで全部の歌を歌っていました。掛け合いのところも可能な限り2役で。ジャン・バルジャンから一瞬でジャベールに。女性パートもしっかり裏声で。歌い初めのまだ囁きのようなところまで、映画のセリフのようにしゃらしゃらと「発声」・・・。

 最初は、常に微妙に映画のセリフとかぶる音声に耳がいってしまったのですが、途中から全く気にならなくなり、とにかくいつまでもいつまでもスクリーンと一緒に歌い続けるそのレミゼ愛に、ひたすら尊敬の念を抱くのみでした。完全制覇するのにどのくらいの時間がかかったのか・・・聞いてみればよかったな。

 

 最初にイメージしていたものとはだいぶ違った『レ・ミゼラブル』の<発声可能上映>でしたが(ここまですごいとは全く思ってなかったww)、最後の最後というこの機会に仲間入りさせてもらうことができて本当にラッキーとしか言いようがありません。

 

 

ありがとう。【川越スカラ座】さん。

 

 

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 で、

そうですね〜・・・

次はこの流れで『オペラ座の怪人』なんていかがでしょう❓  

 

(歌はほとんど歌えないけど・・・)

あれから1年 〜脱単身赴任とか8,000キロ隔てた誕生日とか〜

すーーーーっかりご無沙汰してしまっているブログ、

この節目の時期あたりで復活させようかな、と思って久しぶりに開いてみたら、

なんと3ヵ月以上放置していました。

 

「節目の時期」

 例えば、1年前の11月20日はカナダのエドモントンで朝からケーキを焼いていました。

 なにかイベントでもなければケーキは焼かない私ですが、その日は小ぶりながらもしっかりイチゴ🍓も調達して。

f:id:hiragam:20181120202517j:plain「イチゴがのってるやつ」以外は喜ばない草太の12回目の誕生日だったので。

そして

ケーキを焼きつつ、晩ごはん(バースディ・ディナー)のチキンの準備をしつつ、

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冬休みに一時帰国するつもりで手配していたエドモントンー成田の飛行機のチケットの日程変更の手続きをしていました。

 この日の朝、義父の容態が急変し入院することになったと日本から連絡が入り、とにかくできるだけ早く日本へ帰ろう、ということになったので。

 

 結局、翌日の11月21日、家族4人で飛行機に乗り日本に帰ってきたので、

そういう意味で

「あれから1年」で、「節目の時期」という思いがすごくするわけなんですけど。

 

いやはや、あっという間の1年で。

 

 みどりにとっては「まる1年日本で過ごす」というのは2008年にハノイに行く前の川越生活以来なのでなんと11年ぶり。

あ、11年ぶりなのは私も同じか。

でも、当時幼稚園児だったみどりには「日本での生活」と言ってもほとんど記憶にはないレベルなので、今まさに「日本の生活」をしみじみ味わっている、という感じではないかと。

 

 そしてタイトルの『脱単身赴任』は、もちろんカナダに住む我が家の大黒柱のことですが、義父の急逝で私たち(私と子どもたち)は義母と一緒に日本に住むことになり、カナダでの仕事が任期がまだ残っている夫はエドモントンへ戻り・・・

エドモントンでの任期が終了する来年4月まで、人生二度目の『単身赴任』が続くはずだった夫が今は二人暮し

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いつぞやのブログでちらっとご紹介した「どこでも窓」には、仲良く並ぶ親子の姿。

 

 草太は先月からカナダに戻り、すっかり「真冬」のエドモントンで父子水入らずの生活をスタートさせています。

 ということで、夫は『脱単身赴任』

 

 草太がカナダに戻って1ヶ月が過ぎ・・・そして迎えた今年の11月20日。13回目の誕生日。

 

 まさか我が子の13歳の誕生日をこういう状況 〜太平洋のあっちとこっち〜 で祝うことになるとは。

“祝う”と言っても、特に何もしませんでしたけどねー。だってこんなに離れているんだもん。そして離れているわりには、タブレット(どこでも窓)に向かって手を振れば、向こうも振り返してくれる・・・というなんとも不思議なこの感覚。 

 

 ちょっと前まで一緒に住んでいたあの家で男性陣だけが生活し続けているのを「どこでも窓」で眺めつつ、日本の生活をあれこれ楽しんでいる女性陣(みどりと私)

 

 色んな国で色んな生活をしてきたけど、ここ日本でもなんだか色々“新鮮”

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 近所の公園の木々も、去年の今ごろ撮ったこの写真の姿に近づきつつあり、こういうのを見るたびに「あぁ、季節が一巡したな〜・・・」と思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

リアルがバーチャルに破れた日

もちろん、そんな多大な期待は全くしていませんでした。

だって「1,000円ぽっきり」なんですから。

 

そんなものすごいアトラクションであるわけがない。

(だって映画1回分より安い)

 

でも、パッとこの写真を目にしたときは「おぉ?」って思ったし、

ikebukuro.keizai.biz

 

「天空のジップライン~大都会の空を疾走しよう!~」

 

・・・なーんてキャッチコピーは、とても魅力的。

 

そんなにすごいスリルが味わえるわけはないとしても、とりあえずビルの屋上でのぶら下がり体験なら面白いだろうし、

逆に「1,000円ぽっきり」なんだから、途中でビビって帰りたくなるくらいのスリリングすぎるレベルでは決してないはず。

 

 と、このアトラクションにfacebook上でちょっと興味を示したら、「一緒に行きませんか?」とコメントしてくれた人もいまして、早速その友人Iさんと、この猛暑の中「池袋サンシャイン60」へと行ってきました。

 Iさんが専用サイトを見つけてくれたので、それに従って行動。

 

 

 まず、サンシャイン60展望台内の専用受付カウンターで配布される「整理券」をもらうべく、10時前から展望台行きエレベーターの前で待つ。(朝10時にここに行くためには家を8時に出なければならない、という埼玉県“奥地”在住者・・・がんばりました)

 

ここが専用受付カウンター

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整理券番号に従っての順番待ちになるようだから、できるだけ早めに行っておこう・・・

という心配はありませんでした。

 

「あれ? 私たち2人だけ??」

 

 その後、「整理券」の提示、「誓約書」へのサイン、安全ベルトの装着方法の説明・・・あ、その前に私物は全部ロッカーに。

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 ここで安全ベルトを取り付け、ヘルメットをかぶり、私たちに続く体験希望者の姿を見ないまま、とってもフレンドリーでにこやかなスタッフさんと一緒に屋上へ。

  

 安全上の理由から私物はすべてロッカーに入れたので、屋上のその場からの景色や友人Iさんが滑空している勇姿を写真に収めることもできなかったのですが。

一応、上からの眺めはこんな感じ。

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ただしこれは、60階の展望台〜体験型アトラクションスペース『スカイ・サーカス』〜 から撮ったものなので、「地上231m」よりはちょっと低い感じです。

 

で、このあと私たちはこの景色の上を滑空❣

 

いや、ここからいったいどこへ??

宣伝ポスターには書いてあったよね。

 

『地上231mの高さのビルの屋上内で18mの距離を滑走し、・・・』

 

目の前に広がる景色を見ながら、思わずスタッフさんに聞きました。

 

「で、どこでやるんですか?」

 

スタッフさんが指さしたのは微妙に上空。私たちの頭の上あたり。

 

そこには・・・1本のロープ。

ロープの両端は、20mほど距離をおいて置かれている2つの盆踊りの櫓(やぐら)、あるいは工事現場の足場のようなものにつながっており・・・。

 

いや、分かっていました。滑空距離は18m。

 

これは、決して長い距離じゃない。

 

まさかビルとビルの間を滑空・・・とか、そんな事を考えていたわけじゃない。

 

だって、だったら「1,000円ぽっきり」のはずがない。

 

 

でも、だったら私は何を期待していたんだろう?

 

よく分からないまま、まず友人Iさんが、あっちの櫓(あるいは工事現場の足場)からこっちの櫓(あるいは足場)へ、シャーっと横移動し、続いて私も。

 

無事対岸(?)に移動し終わった私たちを、「お疲れさまでした〜!」と笑顔で讃えてくれたスタッフのみなさん。

 

あぁ、ごめんなさい。

私は全くスリルを感じることができませんでした。

でも、暑い中、初めての試みであるこの屋上アトラクションを成功させるべく笑顔で頑張るみなさんの姿は、私には眩しく映りました・・・

 

 

 こうして、私たちは地上321mというビルの屋上での滑空アトラクションを終えたのですが、あまりの「あっという間」さに、このまま予定していたそば屋へ直行してランチ・・・という気分にもならず、ついふらふらとこの展望台スペースで繰り広げられているVRのアトラクションのひとつへ。

 

 そう。

 ここ、サンシャイン60の60階にある展望台スペースは、『スカイ・サーカス』と名の付いた体験型展望台5種類のVR(バーチャル・リアリティ)のアトラクションも楽しめるので、こちらは多くの人で賑わっていたのです。

 

  どのVRも1回500円で楽しめるということなので、その時一番待ち時間が少なかった《ウルトラ逆バンジー》やってみることにしました。

 

500円を払ったら、

誓約書にサインすることもなく、

安全ベルトを装着することもなく、

もちろんヘルメットもかぶらず、

ただ、映画館から一部切り取ってきたようなイスに腰掛けて

イスに置いてあったゴーグルを付けてワクワクしながら待っていたら

いきなりこんな体験ができてしまうVR。

www.youtube.com

・・・って、これだけじゃ内容まではほとんど分からなくて申し訳ありませんが、

とにかく一瞬にして、私は上空高く放り出され、そのままぐんぐん空を突き抜け、

あぁ・・・地球があんなにきれいに見える。そして今度は落下。ものすごいスピードで急降下!!

うひゃぁ〜〜〜・・・

 

 

こういう時代なんですね。

 

「1,000円ぽっきり」の天空ジップライン

「ワンコインVR」のウルトラ逆バンジー完敗です。

 

60階のビルの屋上まで行ったのに。

確かにビルの屋上から東京の景色をこの目で見たのに。

そしてほんの18mとはいえ、地上231mという場所でロープぶら下がり体験をしたのに。

そんな全てのリアル

バーチャル・リアリティというテクノロジーの前に一気に色褪せてしまったというこの事実。

 

リアル(現実)よりバーチャル(仮想現実・・・偽物?存在しないもの?)が面白い。

 

そういうこと。

 

この日、サンシャイン60の展望台に来ていた多くの人が選んでいたのはリアル(天空ジップライン)ではなくバーチャル(VR体験)

 

 

そのうち、登山海水浴もリアルではなくバーチャルが好まれるようになっていくのかも。

 だって、バーチャル登山なら超危険なところから絶景を見るのだって容易いし、リアルではなかなかお目にかかれないレアな生物に会えたり、珍しい高山植物を見つけることもできるかもしれない。虫に刺される心配もない。

 

 海水浴だって、沖に出てみたらイルカの群れに遭遇してそのままイルカの背に乗って海洋散歩ができちゃうかも。実際の海だったらいくら塩の浮力があってもいつまでも泳いでいたら疲れるし、陸へ帰るまでの体力は温存しておかなきゃ・・・と常に考えていなきゃだけど、バーチャルならそんな心配もないだろうし。透明度抜群のところでシュノーケリングしていたら、夢中になりすぎて背中が日焼けでヒリヒリ・・・がリアル。海にプカプカ浮きながらいつまでも魚たちを眺めていられて、なんならそのまま海の底へGo! が、バーチャル。

 

 実体験すること(=リアル)の楽しさ、ワクワク感が

 想像をはるかに超えた作られた世界(=バーチャル)を求める気持ちに敵わなくなる日が、きっと来ちゃうんだろうなー

 

 なんだか寂しいけど、これは避けられない現実なんじゃないだろうか。

 

 

 自分の中で「リアル」が「バーチャル」に完敗・・・というリアル体験から、そんなことを考えた8月のとある猛暑の日のお話。