ハンガリーの歴史が動いたあとに、春の風とフレディ・マーキュリーに心動かされたGWの今日
半年以上も(正確には8ヵ月💦)放っておいてしまったけど
こんなふうに心が動いた日は書いておかなきゃ⋯と思ったので。
きっかけは、今朝、起きがけに目にしたXのこちらの投稿
5/9の初国会、象徴的な演出で盛り沢山
— ハンガリーのニュース (@ako_washio) May 2, 2026
(この日は欧州の日でもある)
首相の選出・宣誓後、🇭🇺国歌、セーケイ賛歌、🇪🇺賛歌に続き、ロマ系子ども楽団による「ロマの賛歌」の演奏も
マジャル氏は昨年11月、この楽団を訪問した際、首相に選出されたら議会に招待すると約束していた→
📸Magyar Péter FB pic.twitter.com/URXd9nnDvx
先月、16年間続いたオルバーン政権からの交代劇で世界中を沸かせたハンガリー。
ハンガリーを離れて実に9年(!!) も経っていたこともあって、最近は国の動きをきちんと追っていなかった私には、本当に “いきなり” に思えて驚き、そしてその直後から思い出したかのようにこちらの【ハンガリーのニュース】を追うように。
ロマ系の子どもたちによる演奏⋯こういったところからも色々これまでとは違った“風景”が見えてくるようになるんだろうなーなどと思いながら、続く投稿にも目をやると・・・ん?
その後Tiszaの賛歌である🇭🇺民謡「Tavaszi szél vizet áraszt/春風が水を溢れさせる」の演奏
— ハンガリーのニュース (@ako_washio) May 2, 2026
議会前コッシュート広場では朝10時から議会内の宣誓式など大型スクリーンで中継。午後からは広場で市民とともに体制転換の祝典で演説&踊りと。保健相候補が華麗な踊りを再び披露してくれるか注目される
ハンガリー民謡の「Tavaszi szél vizet áraszt」??
これって、あの歌?
ハンガリーに住んだことのある人なら(たぶん)一度は耳にしたことがあって
なんなら、あの繰り返しの部分なら歌ったことあるよね?
という「タヴァシ・セール」(春の風)の歌?
いや、でも同じようなタイトルの別の歌かも、と思って
一応確認。
間違いない。
なんだか嬉しい。
数少ない自分が知っている歌が、ここまでハンガリーの国、人々にとって大切な歌だった、ということが。
なんて思っていたら、
検索の途中に「フレディ・マーキュリー」という名前が出てきて。
どこでどうなって、Queenの彼の名前が出てくるんだ?
と思ったのは私だけではないはず。
と思ったんだけど。
これは実は有名な話らしい。
いずれにせよ、私には貴重な感動映像に思えます。
👇️
1986年・・・
いや〜〜〜 こんなことがあったとは。
ちょっと震えますわ。
で、
歌詞がうろ覚えの彼を助けるように歌う観客と一緒に私も⋯
と思ったら、
う・・・忘れてる💦
最後の方、覚えてない。
あんなに歌ってたのに。
(こんなに短い歌なのに)
ということで、復習タイム。
ハンガリーでこの歌を口ずさんだそこのあなたも、一緒に思い出して歌ってみましょう(笑)
Tavaszi szél vizet áraszt, タヴァシ・セール・ヴィゼット・アーラスト
春の風が水をあふれさせる
virágom, virágom. ヴィラーゴム・ヴィラーゴム
私の花、私の花(私の大切な人)
Minden madár társat választ, ミンデン・マダール・タールシャット・ヴァーラスト 全ての鳥が自分の相手(パートナー)を選ぶ
virágom, virágom. ヴィラーゴム・ヴィラーゴム
私の花、私の花(私の大切な人)
Hát én immár kit válasszak, ハート・エーン・インマール・キット・ヴァーラッサック
さて、私は誰を選ぼうか
virágom, virágom ヴィラーゴム・ヴィラーゴム
私の花、私の花(私の大切な人)
Te engemet én tégedet, テ・エンゲメット・エン・テーゲデット
あなたは私を、そして、私はあなたを
virágom, virágom. ヴィラーゴム・ヴィラーゴム
私の花、私の花(私の大切な人)
あぁ、ここにもそこにも「やなせたかし」さん!
私自身は「アンパンマン」世代(=TVアニメ『アンパンマン』を見て育った世代)ではありません。(TVアニメの放送開始は1988年とのこと。すでに大学生だった⋯)
でも、20年ほど前に子育てしているので、主なキャラクターも知っているし、アンパンマン体操も子どもたちと一緒にやったし、お友達の家に行ってアンパンマンのビデオを真剣に見ている後ろ姿を思い出すことができます。
そして、その作者が「やなせたかし」さんだということも知っていたので、
今、朝ドラで盛り上がっている『あんぱん』も、
子どもたちに人気の あの『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんの物語 という認識で見ていました。
ところが。
8月最終週のある放送日。
蘭子が仰向けに寝転がり、義兄である崇(⇦やなせたかし)の詩を静かにつぶやくシーンを見た時に
あれ・・? と、何かがどこかに引っかかるような感覚を覚えました。
初めて聞く詩なのに、なんだか、この雰囲気、
この言葉の流れ・・? どこかで聞いたことがあるような。
その時は、「いかにも “昭和の詩” って感じだからかなぁ・・・」
くらいに思っていたんだけど、
しばらくしてから
急に
ん?
もしかして。
いや、まさか。
そう思いながらも、
スマホを手に取り、音声入力ONにして言ってみました。
《微笑むことを忘れちゃいけない》
すると、
‼️

この瞬間の自分の気持ちが、「やっぱり!」だったのか「まさか⁉️」だったのか
今となってはもう思い出せないけれど
小学校低学年の頃だから、間違いなく50年も前、
自分が使っていた「湯のみ」に書かれていたあの「優しい詩」が、実はやなせたかしさんの詩だったとは・・・
そういえば、『あんぱん』の中でも妻夫木くん演じる八木さんが、確かに言ってたよ。
“皿や湯のみにこの詩を書いて商品化” と。
その商品されたもの、我が家にあったよーーー!!
そう思いながら画像検索にしてみると

ほほえむことを わすれちゃいけない
なみだはいまも こぼれているが
すぎてしまえば 今はむかし
おもいだしちゃいけない かなしいことを
こうなったら次は《湯のみ》で検索・・・
これだーーー!!

さすがはメルカリ。
しっかり売られている・・。
(私だったら売れない💦)
いや、懐かしくてめまいがしそう。
ついでに妹が使っていた湯のみも・・・
妹のに書かれていた詩は
《雨ふり 風吹き そして晴れ
それが人生 これが人生》
・・・あった!

しかも「希少品」ときた(笑)
もう感慨深すぎて、すぐに実家の母に電話しました。
この湯のみのことをよく覚えていた母も、
まさかこの詩がアンパンマンの作者であるやなせたかし氏のものだったとは知らなかったそうで・・・。
でも、私たちにこの湯のみを買っていた母が、
とにかくこの詩に心を掴まれていた・・・というのは小学生ながらも私にもよく分かっていました。
この湯のみを眺めながら母が「本当に良い詩だよね・・・」と何度となく言っていたのを覚えていたので。
その度に、その詩を見るともなく眺めていたので、いつの間にか心に染み込んでいた優しくちょっと哀しい詩。
「アンパンマン」にはお世話にならなかったけど、こんな形で私もしっかりやなせたかしさんに幼少期を見守られていたのか・・・などと、ひとり感動に浸っていたのですが。
まだ続きがあった!
突然ラジオの脚本を書かなければならなくなった崇(⇦やなせたかし)が、
以前書きかけていた物語を完成させる・・・という形で作り上げた
『やさしいライオン』。
ん?
これ、この家にあったんじゃない??
「この家」というのは、今住んでいる夫の実家。
夫が小学生の頃から高校生まで(⋯たぶん)寝起きしていた2階の部屋の本棚に、
『兎の眼』とか『窓際のトットちゃん』とか『少年少女伝記シリーズ』などに紛れて、1冊だけ、なにやら可愛らしい絵本があったのを覚えていて。
それって、確かこんなタイトルじゃなかったっけ??
その日の放送が終わってから、
なんだかドキドキしながら2階の部屋を探してみると・・・

まさに!!


やなせたかしさんの「想い」が綴られているこのページを見て
今の朝ドラ『あんぱん』が、本当にこういうのも全部全部しっかり吸い上げて作品に注ぎ込んでいるんだ・・・ということを改めて感じました。
それにしても
やなせたかしさんは確かに『アンパンマン』の作者としてあまりにも有名な人だけど、
それは彼の晩年の(と言ったら失礼でしょうか?)一部の姿でしかないのでは・・・?
などと、つい思ってしまうような “個人的な出来事” が重なった一週間でした。
「自分の思い出」とここまでリンクした朝ドラは今までなかった気がするので(そんなに全部しっかり見ているわけじゃないですが💦)
残りあと1ヶ月となったこの作品の最後をしっかり見届けたい気持ちになってしまいました。

STOMP(ストンプ) からの 脳ドック体験
観てきました!
というか、
“体験してきました” という方がぴったり来るようなステージの【STOMP】。
自分の身体や身近なモノ(デッキブラシとか、バケツとか、新聞紙とか・・・)を使って音を出し、そのリズム感、スピード感で観客を圧倒したかと思うと、たった一音、たった一打からゆらゆらと広がり、そのまま私たちを神秘の(音の)世界に連れて行ってくれる・・・
まさに The プロフェッショナル・パフォーマンス集団 。
100分ノンストップ! とあったけど、本当にノンストップで
メンバーもずっと8人だけで。
いや、すごい体力。

もともと【STOMP】というのは【足をドンドン踏み鳴らす】という意味があるそうで、リズミカルに飛んだり跳ねたり、というのもこのステージの “売り” なのだと思うし、だから、よく見かけるポスターもこういうものになる、というのは分かる。
でも、こういう “動的” な部分だけじゃなくて
“静的” ・・・いや、“静的” ともちょっと違うけど、
例えば、1本の長いゴムチューブの一方をしならせて床に触れたら「ぷわん」という音が出て、続けて反対側をしならせたら「ぽわん」と音が出て。
今度は別の人が長さの違うゴムチューブで床をポコンと叩くと、さっきよりちょっと低めの「ぷわん」。反対側をしならせて床をポコン。するとさっきよりもちょっと低めの「ぽわん」。
そこにもう一人加わって・・・と、ゆっくりいろんな「ぷわん」と「ぽわん」がだんだん重なっていって、それが完全な音楽(メロディ)になって聞こえてくる・・・
(すごく頑張って文章で表現してるけど、分かってもらえているか自信がない)
例えば、クリスマスとかによく聞く、ハンドベル。一人ひとりが自分の一音を決まったタイミングで鳴らすことでひとつの音楽になる・・・
それのゴムチューブ(ホース?)版で、しかもパフォーマーはそのゴムチューブを「ぷわん」「ぽわん」と床に打ち付けながらステージを動き回る。単純な音の積み重ねで作り上げられるメロディがステージ上を移動していく・・・
そんな “幻想的” な世界も体感できたんだけど、これはさすがにポスターでは表現できないよな〜
短いパフォーマンス紹介動画もいくつか見たけど、あのちょっとずつ音楽になっていく・・・というのはなかったよな〜
ということで、チケット購入時から楽しみにしていたステージは、
“リズミカルな音の連続と迫力あるアクション” という期待通りのすごさと
何も無いと思っていたようなところからじわじわ生まれる “幻想的な音の世界”
という期待以上のドキドキ感も見せてくれました。
あ〜 すごかった・・・!
そして、
どんなものでも音楽になる⋯いや、“してしまう”という 真剣さと遊び心の絶妙なバランスで私たちを楽しませてくれたこのパフォーマンスの翌日に
人生初の《脳ドック》というものを予約していたのは、ホントにただの偶然なんですが・・・
《脳ドック》
ちょっと近未来的な(?)ベッドに寝かされて、そのままカプセルみたいな中に入ってする検査で、カプセルの中に入ったら、金属音のようなものが響くのでその音がとても不快で・・・それに耐えなければならない、という多少の苦痛を伴うらしい検査。
というのが、実際に体験する前に持っていた「予備知識」だったんだけど、
とにかく、ここ数年、もう自分でもびっくりするくらい物忘れが激しいし、
一度、検査してみてもいいんじゃない? とは思っていたので
義母がいつもお世話になっている病院(定期的に薬をもらいに行っているので先生やスタッフさんともすでに顔なじみ)で「体験」してみることにしたわけです。
それが、この【STOMP】を見た翌日。
これを、【STOMP】効果⋯、というのかは分からないけど、
多分に影響があったような気がしてならない・・・(笑)
以下、体験談。(今、記憶に残っているレベルで⋯)
まず、「金属音のようなものが響く」というのは、これは違った気がする。
勝手にキンキンした音に耐えなければならないと思っていたんだけど
もっと「ぶおんぶおん」というか「ぐわーーーん、ぐわーーーーん」というか、もうちょっと耐えうる音ばかりでした(私にとっては)。
で、ベースとして、ちょっと大げさな時計の秒針のようなもの⋯「チクタク・チクタク」じゃなくって「ズゴン・スコン・ズゴン・スコン」という感じの音がずっと鳴っていて、
それにインターバルをおきながら、いろんな音がかぶさってくる。
ブブーーーーーッという、いかにも「これからステージが始まりますよー。」という開演5分前のブサーみたいのが鳴って、
その後に、それのもっと低い音が鳴ってみたり
工事現場で何かが作業をしているようなズゴゴゴゴゴ・・・・・
というのが聞こえたり、
そんな音を聞きながら
「こんなので一体何が分かるんだろう?」
「いろいろ想像とかしたらまずいのか?」(脳が反応しすぎるとちゃんと検査できないんじゃ…?)なんて考えてしまったり。
とにかく全く退屈しない⋯というか
音のオンパレードに身を置いているうちに検査は終わってしまいました。
そんな【STOMP】効果のおかげか・・・?
その日のうちにすぐに分かった検査結果は
「全く問題ありません。」
と、
「え?マジですか?」と言いたくなるくらい
“問題なし” を連呼されて、
嬉しいけど・・・
それってつまり、
あの最近の記憶力の弱さ、悲しくなるくらい覚えていられないあれやこれやは・・・?と、首を傾げたくなりました。
が、先生曰く
「そんなの みんな そうですよ。」
医者ともあろう人に、そんなに簡単に「みんな」なんて言わせてしまうくらい、みんなおんなじ状況なの?
私が解せない顔をしていると、
こんなふうに、あれやこれやを思い出すのに時間がかかったり、
この間は思い出せたのに、どうして今、思い出せない??と思ったりすることは、
もはや自然現象(年齢とともに訪れる)なのである、という類のことを
先生はいろいろな表現で伝えてくれました。
そして。
これだけ何の問題もないのに検査を受けるという人も一定数いるそうで、
「そういう人の場合、また別の不安(心配事)を抱えている、ということも(私たち=医者)は考えます。」と言われてしまいました。
「普段から心配性な性格ですか?」とも聞かれ、
それにはさすがに
「いいえ。」と即答してしまったけれど・・・
ふむ。
私は何かを心配しているのか?
最後に先生に
「とにかく今は何も心配することは無いので、このこと(検査を受けたこと)はいったん忘れましょう。」
と言われて、その日はおしまい。
《脳ドック》
6,840円。
まあ、しばらくは「みんな同じ」だから「心配要らない」と言われたことを信じて生活していけそうなので、この値段も決して高くはなかったな・・・
などと思う猛暑続きの夏の《脳ドック》体験でした。
突然まじめな話。テロとか紛争とか、やっぱりなくなってほしいし。
Facebookを見ていた時にたまたま流れてきたドキュメンタリー上映会の案内。
はっきり覚えていないんだけど「紛争地域に学校を作る」みたいなことが書かれていた気がして、あと「テロリストとの対話」とか・・・そんなことも書かれていたかな?
で、
紛争地域で少年兵の更生施設的なものを作った日本人のドキュメンタリー映像⋯とか、そんな感じかな、と思って申込んでみたのが数日前。
そして本日、6月11日(水) の19:30〜
対話を通じたテロ・紛争解決のリアルを知るー密着ドキュメンタリ
に参加しました。
と言っても、参加者の顔出しは無しで、質問コメントがある場合はチャットで・・・というスタイル。
参加者は20人弱。
え? 意外に少ない。
もっと大勢の人が興味持ちそうな印象だったのに。
と思ったら、このスタイルのドキュメンタリー上映会は定期的に行われていることをあとから知りました。
たまたま今まで私の目に入ってくることがなかった、ということみたい。
登壇者の山﨑琢磨さん(NPO法人アクセプト・インターナショナル職員)による同団体設立のきっかけや「めざすもの」についてのお話もとても興味深かったし、なんといっても話し慣れている、というか迷いがないのに押し付けがましくなくて、上手いなぁ・・・と思いながら聞いてしまったんだけど、そのあとに流れた30分ほどのドキュメンタリー映像もまた印象的だった・・・・
場所はソマリア。
アフリカ大陸の、東側の変にとんがった形の国。
現地の人達と現地語も交えながら話をしている姿とか、
未舗装のでこぼこ道を車でどんどこ走っていく映像とか、
協力隊出身者(という言い方も変だけど)にはそれほど驚くものではなく、
むしろ「うん、うん、なんか懐かしい。こういう感覚」くらいに思いながら見ていたんだけど。
でも、実はそこは紛争地で、話をしている相手はテロリストだったり、
反政府勢力ということで捕まった受刑者だったり・・・
「2年の任期が終わったら帰国」 とかじゃなくて
その国の要請があったから出かけていったわけじゃなくて
っていうか、政府の後ろ盾はないわけで・・・
なんだかだんだん、じわじわとざわざわしてきて。
武装組織から抜けたいと思っている若者の手助けをしたり、
テロ組織から離脱した人、服役中の人たちに社会復帰のための支援をしたり、
それは単なる職業訓練だけではなく、メンタルケアであったり、歪みのない宗教教育であったり。
彼らが苦しみや憎しみの連鎖を断ち切って、この先もテロや暴力とは関わらずに生きていけるようにと語りかけ、働きかけ、
そんな彼らを受け入れてくれる社会(コミュニティ)を作るために周りの人々とも対話をし・・・。
そして、
『テロや紛争のない世界の実現を目指す』という明確な目的のもとに確実に進められている活動に、素直に「すごい」・・・と思ってしまいました。
「海外のいろいろな国や地域でいろいろな活動をしている団体はたくさんあるけれど、自分たちはあれこれ手を広げず、ピンポイントの活動をしている。」
というお話もあったけど、それは
「暴力に苦しめられてきた人たちを希望ある生き方へと導き」
「彼らを受け入れることのできる社会を作る」。
そこから
「暴力や憎しみのない世界」=『テロや紛争のない世界』をめざす。
ということなのかと。
いや、本当に大変なことだとは思うけど
そういう志をもって頑張ってくれている人は、やはり応援したいと思ったのでした。
そして、そんな彼らの活動地域のひとつとしてインドネシアも入っていたので、
「ありがとう・・・」という気持ちにもなってしまったり。
**************
この「アクセプト・インターナショナル」 というNPO法人は、実は結構メディアでも取り上げられているようで、こういう方面に常にアンテナ張ってる人たちには十分知られている団体なのかも・・・(私は今まで全然知らなかったー。)
今回、参加した「対話を通じたテロ・紛争解決のリアルを知るー密着ドキュメンタリ
https://accept-int.org/eventinfo/
2025年のスタートは鴻巣から🏃♀️
2025年がスタートして、あっという間に2ヶ月が過ぎました。
明日から3月。
そして私にとっては、明日が今年のランイベントのスタート。
「観戦」「応援」では、新年早々の「ニューイヤー駅伝」「箱根駅伝」から始まって先日の「大阪マラソン」まで、テレビ越しではあるけどいろいろ楽しませてもらっていますが、自分が参加するは明日の
『鴻巣(こうのす) パンジーマラソン』が今年初。
そして、鴻巣市で開催されるこの大会に参加するのも初めて。
「鴻巣」と言えば「運転免許センター」🚗。
埼玉県民の中にはそういう人も多いかと思うけど、私にとってはまさにそれで、過去にこの街を数回訪れた時も全て運転免許証がらみで目的地は「運転免許センター」のみ。
なので、今回はなんとなくワクワクした気持ちでエントリーしたんだけど、マラソン大会会場が運転免許センターの隣と知ってびっくり。
知らないと気づかないんですねー。
立派な陸上競技場がこんなに近くにあったなんて。

私自身は初めての参加だけど、大会としては「第43回」ということで、これは結構長い歴史を持つ大会ということではないかと・・・。
先日、事前に送られてきた大会パンフレットを見ていたら
市長さんのご挨拶のページにゲストランナー紹介の欄が。
「こうのす観光大使 服部翔大さん」
・・・へー 「観光大使」も走っちゃうんだー と思いながら目を通すと。
日体大?
箱根駅伝優勝??
日体大卒だった父が母校の “後輩たち” が走る箱根を毎年欠かさず見守る家庭に育ったので、私も「箱根駅伝」という文字にはなんとなく反応してしまうんだけど、

おぉ… 日体大が30年ぶりに総合優勝した時(2013年の第89回大会)のキャプテン!
30年ぶりってことは前回優勝した時は選手たちはまだ生まれていなかったのねー
そして今は立正大学の駅伝監督とか。
「観光大使」だけどマラソンにも参加・・・ではなくて
ガチのマラソンランナーが鴻巣市の「観光大使」、というのが正しい認識のようで。
「しまむら」の女子陸上競技部も多数参加、というのも
いかにも埼玉県内の市民権持ったマラソン大会って感じ(笑)。
こうして、その大会にまつわるちょっとした話を知ることができると
ちょっと楽しみ感が増すんですよねー。
そして、明日から3月ということで
ここ数年参加している『ホワイトリボンラン』の #ホワイトリボン月間 もスタートするので、明日はホワイトリボンTシャツで走ろうと思います。

ところで、なんで『パンジーマラソン』なんだろう?
👇️
👇️
鴻巣市の市の花が『パンジー』だからのようです。
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【ちょっと覚え書き】
日体大
1949年 第25回 初出場 (この年から77年連続出場)
1969年 第45回 初優勝
1970年 第46回 2連覇
1971年 第47回 3連覇
1972年 第48回 4連覇
1973年 第49回 5連覇
1977年 第53回 6回目の優勝
1978年 第54回 7回目の優勝
1980年 第56回 8回目の優勝
1983年 第59回 9回目の優勝
1987年 (日テレの中継スタート)
2012年 第88回 19位
2013年 第89回 30年ぶり 10回目
2024年 なんの年だった? と思いながら書く大晦日
今年の初めに、『昨年2023年は“フルマラソン元年”だった 』と書きました。
いつかは…と思いつつ、でもいつまでも再チャレンジ( “再” ⬅️ここがポイント(笑))できずにいた自分がついに4月にリベンジ達成。その後今年にかけて半年に1回のペースで走れているので、これはもうホント文句なく 2023年=フルマラソン元年。
じゃあ、今年は?
2024年は、実はマレーシア🇲🇾が、ぐぐっといきなり近づいて来た年でした。
私の海外生活のスタートは東南アジアのマレーシア。
青年海外協力隊・・・えーっと、今の名称は『JICA海外協力隊』って言うんでしたっけ?
で、2年間マレーシアに住んだのが最初の海外生活でした。
1989年7月。
なんと35年前!
赴任時のクアラルンプールへ向かう飛行機の中で、中森明菜ちゃんの自殺未遂の記事を見て驚愕。。。そんな35年前。
まだ社会経験もないキャピキャピの(…だったかは分からないけど)女子大生だった私が、とにかく強者(ツワモノ)、個性派集団の先輩隊員らに温かく見守られ、支えられた2年間。
自分の任期中にあとから赴任してくる隊員も自分よりも年上の人がほとんどだったので、もうみんな色んな意味で「大人」で、でも好奇心旺盛な人やとにかく馬力のある人が多く、日々刺激の受けっぱなしでした。
一緒に赴任した同期(私を含めて14人)に至っては、現地派遣前に長野県の駒ヶ根訓練所で語学訓練を中心とした約2ヶ月半の共同生活をしたこともあり、未知の世界へ飛び出す前の「同志」・・・いや、個人的には「家族」に近いような感覚で周りに頼り切っていたような気がします。
などと、今ごろこんなことをあれこれ思いだすのにも理由があって。
それは、協力隊でマレーシアに派遣された人たちによる集まり
『青年海外協力隊マレーシア会』事務局の仕事に関わることになったから。
でも実は、自分の原点とも言えるかも?の国であるマレーシアからは、ここ数年距離的にも気持ち的にも随分と遠ざかっていました。
1991年に2年間の協力隊生活を終えて帰国したあと、
いろいろあって、
いろんな国に住んで、
人生半世紀を過ぎてから日本の埼玉県内での生活をスタートさせたのが2018年の終わり。
それまで「日本での生活」というのは「一時帰国中」ということがほとんどだったので、いつも「◯◯を食べる」、「◯◯を買う」、「◯◯に会いに行く」、など明確な目標を掲げながら「(日本にいる間に)することリスト」をひとつずつ片付けていくのが基本スタイルで。
「貴重な日本での時間」は、迷ったら出かける、お誘いの声がかかったら行く…というのがスタンスでもあったので、たまたま帰国時に「マレーシア関係の集まりがある」との情報が入った時も、「同期や派遣当時向こうで一緒に活動した人に会えるかも。」などと期待しながら足を運んだこともありました。
そんな流れもあって、今回、日本での生活が数年続いていた間にもマレーシア関連の集まりがあると、なんとなく出かけていたら、
・・・気がつくと次期役員候補になっていて、結局そのまま役員の一人に。
(ちょっとはしょり過ぎだけど)
とは言っても、
そのときは、すでに書いたように協力隊員としてマレーシアから帰国して30年以上が過ぎており…。
そして帰国後もいろいろな国でいろいろな人と知り合って、マレーシアだけが私の中で海外生活を語る場所ではなくなっていたので、今になってまたマレーシアに近づくことにちょっとした違和感すら感じていました。
実際、自分が事務局役員に…などという話を聞くまで
自分が「マレーシア会」というOV会(OB&OG会:Old Volunteerの略)の正式会員だという認識もなく(会費の徴収とかがあれば分かるけど会費なしの団体なので)、
半年に一度のペースで送られてきているという【会報】の存在も認識しておらず(何やら時々届いていたのは記憶にあるけど、どれだけきちんと読んでいたかは甚だ疑問💦)、
なので、自分が書いたエッセイもどきが【会報】の第5号に掲載されていたことを知ったときは驚いてしまったくらいで。(もちろん、依頼されるままただ書いていた…という私の無自覚さ故の驚きです。)
こんな自分が、今度は『青年海外協力隊マレーシア会』の事務局からマレーシア情報や【会報】を約600名超の会員の皆さんへメール配信する担当になっているんだから世の中わからないものです・・・
でも、こんな私だからこそ、この600名超の中には「マレーシア会」というものを認識していない人や、定期的に送られてくる【会報】も「これは何だ?」とスルーしている人もいるんだろうなー・・・と、実感を伴って分かるので、あまり肩肘張らず、読んでくれている人に届けばいいや…というスタンスで配信作業などができているんだと思います。
そして、この会に関わるようになってから、当然のことながら私とマレーシアの距離はグッと近くなりました。
いや、マレーシアの距離、というより、マレーシア絡みで知り合った人たちとの距離が。
同じ時期に同じ国で同じ時間を共有しても、帰国後はなんとなく疎遠になってしまう人はいるものです。
帰国直後は、それでも連絡を取り合ったり一緒に旅行したりと時々顔を合わせることがあっても、隊員気質としてあまり一所には留まらない人も多く(自分もだけど)、時間とともに音信が途絶えてしまうことも多いです。
そんな私たちの距離を、当たり前のようですが『マレーシア会』は間違いなく縮めてくれています。
帰国後一度も会う機会のなかった同期と連絡を取ることができ、年明けには会う約束になっているのもそのひとつ。実に35年ぶりの再会です。
積極的に関わるとこんなに違うんだ…と、しみじみ・つくづく思ったこの数ヶ月。
そういえば今年は、思い出の地 長野県の駒ヶ根市を走る【信州駒ヶ根ハーフマラソン】でも、きちんと自分の派遣国の国旗ゼッケンをつけて走りました(笑)。

隊員OV限定の特別ゼッケン。今年は帰国中だった夫も参加。
2024年は例年よりも多く50人以上の国旗ゼッケンランナーが参加したそうです。
マレーシアの国旗をつけての参加は私ひとりだったようですが、来年は複数名の参加を実現させられるよう、会員みんなに呼びかけるのもありかな。
そんなことを1年の終わりに考えているので
2024年は『原点回帰のマレーシアの年』・・・?
ということで、来年もマレーシア会の皆さんにはいろいろお世話になりそうです。
来年もよろしくお願いいたします。
そして
この2024年はもちろん、マレーシアとは全く関係ない人(笑) ともたくさん会うことができました。
素敵な時間を一緒に過ごしてくださった皆さん、どうもありがとうございました。
日本在住継続7年目に入ってしまいましたが、
来年も「せっかく日本にいるのだから・・・」というひと昔前のあの気持ちをまた思い出し、毎日を大切に過ごしていきたいと思っています。
あと少しでやってくる2025年が、今年以上に素敵な年になりますように・・・
******************************
改めて読むと、あぁ…そういえばこういうの書いたなあ・・・と思いだした【会報第5号】の記事:
『アジアの小娘がアラブの春を通り抜け、ヨーロッパのマダムになる…という人生』
https://ics-together.com/pdf/jocvmalaysia/jocvmalaysia_bulletin05.pdf
9月の思い出 その2 初めての・・・
インドから帰国する前から「一度、生でボクシング見てみたいね〜。」と言っていた夫は、帰国後すぐに格闘技の聖地と言われる後楽園ホールでの9月7日の試合のチケットをGET。

その日、2人でいそいそと「後楽園ホール」へ向かいましたが、
実はもう、にわかもにわか・・・
知ってる選手がいるわけでもなく
そもそも「日本スーパーライト級タイトルマッチ」とか「東洋太平洋フェザー級王座決定戦」とか書かれてるけど、そのひとつひとつの意味も分かっていないアラカン夫婦。
会場に向かう電車の中で
「今日の李 健太 って り・ごんて って読むらしいよ。朝鮮学校時代に高校6冠達成‼日本記録だってー。すげーー」などとにわか知識を詰め込み、
さらに、もっと基本的なことも分かっていない私は
「へぇーー・・フェザー級よりもバンタム級の方が軽いんだってーー。」
「え? バンタムって“チャボ” って意味なんだって!(なんで羽よりもチャボが軽いんだ?)」
そして、東京ドームがどーーーんと見える後楽園駅に着いたものの、「後楽園ホール」の場所が分からずしばしウロウロ。
なんとかたどり着いた会場は意外とコンパクトだけど、コンサート会場とは違う空気が流れていて(当たり前・・・)
そして席からリングは意外と近く…。


戦っている2人の姿はもちろんよく見えたけど、相手の体をパンチした時のバフッ!という音や、殴られた瞬間の汗のしぶき・・・
そして、彼らの「瞬間」をおさめようと身を乗り出してカメラを構えている人たちの姿など、テレビ観戦では見られない舞台裏を見た感じで(いや、これがリアルなんですけどね)
高揚感が増しましたー。
※写真は、李 健太(帝拳ジム)と山本ライアン・ジョシュア(ワタナベジム) の試合。
あと、実際に会場に足を運んで「なるほどーーー」と思ったのは
ボクシングって、戦う男のスポーツではあるけれど
それを観に来る人たちは、当たり前なんだけどいろんな人がいるということ。
家族で観戦に来て、でも途中で疲れたのか大歓声の中で熟睡しちゃってる小さい子とか、
友だちの応援に来ている若者のグループとか…
腕に入れ墨しているイケイケな感じの女の子もいたし、
抱っこ紐で赤ちゃんあやしながら観ている若いお母さんもいました。
私たちにとっては「初めての観戦」でちょっと非日常を味わった気がしたけど、
この雰囲気が “日常” という人が大勢いることを改めて知って、
そして、「自分にとっての初めて」を感じられることがとても嬉しかった・・・
そんなひとときでした。
けっこう年齢を重ねると「初めて」を感じられることが少なくなってきませんか?
何かを見ても、「あ、◯◯で見た△△に似てるー」とか思ったりして。
今回のボクシングも、子どものころはよく家のテレビで観た記憶があるので100%初めてってわけじゃないけど、でも、「その場で生でボクシングを観る」は、今年の「初めてリスト」に入れてもいいだろな、と思いました。
で、そもそも
なんで「ボクシングを観たい」と思ったのか。
・8月3日にアマプラの「Teleparty」(ウォッチパーティ終了後のサービス)で、安藤サクラ主演の『百円の恋』視聴。素晴らしい女優魂でボクシングに挑んでいた姿に「すげーー」と思い
・その翌日、別のボクシング映画『春に散る』を視聴。久しぶりの佐藤浩市作品に💖となって、イケメン俳優という認識でしかなかった横浜流星くん、窪田正孝くんがリアルなボクサーでもあると知って驚き、さらにこの映画の原作が沢木耕太郎の小説と知って、その昔に読んだ『敗れざる者たち』を思い出し・・・そのへんの沢木作品は読んでいなかったという夫は『一瞬の夏』を読み…
と、8月はボクシングがらみのあれこれが私たち夫婦を取り巻いていて、その流れでの「後楽園ホール」だったのでした。
しかもこの私たちの “初生観戦” 直前には、有明アリーナで井上尚弥というめっちゃ強いボクサーが、またタイトル防衛に成功して・・・ということでボクシング界もものすごく盛り上がっていたようで…。
あぁ、なんだか “にわか” すぎることがバレバレで恥ずかしいけど、
でも、これをきっかけにボクシングの方にもちょっとアンテナを張らせることができるかも、と思っています。
以上、
貴重な “初めて体験” の記録でした。