と言うと、今 多くの人が思い浮かべるのはやはりオリンピックかもしれません。
そのオリンピックがある年には(正しくは「夏のオリンピックがある年」ですが) 2月29日があります。
4年に一度しかない2月29日。
2008年2月29日に亡くなった父の命日は、だから
4年に一度しかやって来ません。
今日、2020年2月29日は父の3回目の命日。
自分の命日がそんなレアな日になるとは思っていなかったと思いますが、
さらに父は、生前から「葬式はやらん。坊さんも呼ばないでいい。墓もいらないから沖縄の海に散骨してくれ。」と宣言しており、そんな父の希望を、母はじめ父を大切に思っていた人たち全員がみごとに全て叶えたので、実家に帰っても父のお墓はありません。
お寺さんにもお世話になっていないので、戒名とかもないし、◯周忌の法要とか、そういうのも無し。
大学を出てからは一緒に住んでいなかったし(実際はその前にマレーシアに行っていたのでその期間も離れて暮らしていたし)退職後、父は一年の半分は沖縄で暮らしていたので、大人になってからは圧倒的に《離れて暮らしていた歴》が長く、
実家に帰っても「必ず会える人」じゃなかった、という印象の父。(帰省しても私が遊び歩いて家にいなかった、というものあるな😅)
で、子どもを連れて帰省しても「じゃ、お墓参りに・・・」とはならないので、
亡くなってもう10年以上も経つのに、なんだかまだ沖縄あたりをふらふらしているような…たまたま長い時間会えていないだけのような…、そんな感じでどんどん時間が流れていっている気さえします。
そして迎えた3回目の命日の今日。
いままでは、父とのお別れ会の時のDVDを家族揃って見るという形で、4年に一度、みんなで父を思い出す日にしていたのですが、今年はなんとなくそういうのとは違う2月29日にしてもいいような気がして、
あえてDVD鑑賞会をみどりに提案はしませんでした。
代わりに。
いい天気だったので、近所をぐるっとジョギング。
退職するその日まで、体育教師として、自分よりずっと体の大きな高校生に体育の指導をしていた父を偲ぶ日にふさわしいんじゃない?なんて思いながら。
せっかくなので、走りながらたぶんきっと4年ぶりに(💦)父のことをあれこれ思い出してみました。
生徒のピアスは絶対何があっても許さない堅物教師だったくせに、自分は退職した途端いきなり髪を伸ばしてロン毛を後ろでまとめたりしてたよな・・・ とか
《水戸黄門》や《遠山の金さん》なんかの毎度毎度同じ展開のドラマは大好きだったけど、三谷幸喜の《ラヂオの時間》の面白さには全くついてこれず、途中で「なんだこれは、わけがわからん!」と鑑賞放棄をされたっけなー とか
あれだけ人の顔と名前を覚えるのが苦手な人が、よくがんばって長年教師をやっていたよな〜 とか
「マルちゃん(東洋水産)の味噌ラーメン」だけは自分でよく作って食べていたけど、先に丼にバターを入れておくことと紅生姜をトッピングするのはあれはいったいどういうこだわりだったんだろう? とか
小さい頃の冬のある日、電柱に雪玉を投げてぶつける遊びをしていた(けれど、子どもゆえコントロールが下手くそで電柱には当たったり当たらなかったりだった)私と妹に「なにやってんだ? あれに当てるんだろう? こうやってちゃんと狙って投げればいいだろうが・・・!」と、投げる玉投げる玉、全部電柱にヒットさせ、我が子のコントロールの悪さに動揺しまくっていたっけな〜 とか
50を過ぎてからのセリカXX、そしてホンダ・ビート・・・あの車好きはなかなかだったよなぁ〜 とか
いや、父のことをこんなふうに思い出すなんて本当に久しぶりだったので(・・・というか、たぶん4年ぶりだったので💦)あれこれ出てくる出てくる。
4年に一度の命日ってのも、悪くないかも。
なんて都合のよいことを思いながら、亡き父を偲んだ4年に一度の2月29日でした。
さて、来年・・・じゃなくて次の2月29日はどんなふうに過ごそうかな。