やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

退避帰国日記・再び 

7月5日(金)に夫の所属先から 《いざという時にすぐに手続きに入れるように》家族全員のパスポート情報を知らせておいてほしい、との連絡が入り、
7月6日(土)は 《不測の事態に備えて》 ずっと荷物整理をしていた、


・・・ということを書いたところでストップしたままかれこれ10日が過ぎ、すっかりあの怒涛の日々が遠い記憶となりつつある今日このごろです。

 ほとんど備忘録でしかありませんが、とりあえずここに、この度第2回目の退避帰国となった我が家の数日間を書き記しておこうと思います。


 でもこれは、あくまでも「備忘録」です。
将来 ♪あんな時代もあったね、と、いつか笑える日が来た時のための記録です。

 同じ国から二度も退避帰国をする方など滅多にいないでしょうし、あまりにも激しい数日間だったので正直すでに記憶が飛んでしまっている部分もありそうで、
そんなわけで全くもって読んでくださった方に有益な情報を提供できるような内容とはならないと思われますので予めご了承ください。



7月7日(日) 
<決定> 実は、日付が変わって7日になった時にはすでに「国際交流基金の派遣専門家は一時退避する」という内容のメールが職場のスタッフにも送られていたそうで、つまり一夜明けたら私たちの2度目の退避帰国はすでに決定的なものとなっていたのでした。ただ、帰国便についてはまだ決まっておらず、でも早ければ9日の便という可能性もあり、とのこと。

 ん? 9日ってあさってですけど?? 

 今日、帰国が告げられ、あさって飛行機に乗る・・・


いやぁぁ〜〜・・・いくらなんでも無理でしょ、それ。 あはははは。


 と、立ち尽くしたまま笑っていたかったのですが、
そして、その時は“早ければ”9日と言っているのだから、あくまでもそれが希望というだけで、実際にはまあ今週中には出国って感じになるんだろうと思っていたのですが。

 フライトについては今日中に連絡が入るとの事だったので、とりあえず狙っている9日(火)夜の直行便(エジプト航空)が取れればそれで出国、取れなければその後のどこかを経由して帰る飛行機になるんだろうと・・・今、未確定事項を気にしている場合ではないので、とにかく荷物整理から本格的な荷造りを開始。


<ダンボール届く> 《不測の事態に備えて》荷物整理をしながら、昨日夫が日通の方にお願いしていたダンボール。運ばれてきたのは20数箱・・・だったかな?

 数日後にはここを去るとは全く思えない日常的なリビングの風景に、ダンボールのみがドンと置かれた不思議な写真。
 後ろにはいつも通りwiiに没頭している子どももいます。


 さて、前任地のハノイ(ベトナム)からダンボール約70箱分の荷物を運んだ我が家ですが、今回のこの事態において、もうとにかく<世紀の断捨離>を決行しないことにはどうにもならない状況になっていました。


 夫の任期が残りあと3ヶ月のみ、というこの時期に「退避帰国」などしてしまうと・・・

 それって結局、少なくとも私たち同伴家族にとっては「本帰国」を意味することになるだろう、ということは、数日前から夫と話はしていました。(まだこの時には私は全然納得はできてませんでしたが)

 夫自身も、もしかしたらこれが本当の引き揚げになるだろうと、ある程度の覚悟はしていたようです。

 一旦退避すると、そう簡単には戻っては来ないでしょう。
 前回の2011年2月の時は、夫はちょうど1ヶ月でカイロに戻りましたが、私たち同伴家族は(震災という特殊な事情もありましたが)1ヶ月と3週間近く日本に滞在。

 7月のこの時期に帰国し、戻ってくるのがうまくいって8月になったとしても、残りの任期2ヶ月。子どもたちが通う日本人学校は夏休み中。
 
 そんな中途半端な短い期間をカイロで過ごさせるために、家族全員での再赴任が許可されるか?? 家族全員の往復航空券、随伴手当て、教育費の補助。たった1〜2ヶ月のために・・・?などと考えると、まず「No」

 ということで、私たちに課せられた<荷造り>というものは、とりあえずの退避帰国用の荷造りではなく、本帰国を念頭に置いた<もうここには戻ってこないことを想定した荷造り>となりました。

 
 非常に限られた時間の中で荷造りをしなければならない場合、その方法はたぶん2つ

1.とにかく全部持っていく
2.ほんとに最低限の物しか持って行かない


 次の国への赴任予定が11月となっている我が家の状況で、1.はどう考えても無理なので(保管場所の問題、それにかかる費用の問題等で)

そんなわけで、来た時に70箱あった荷物をその1/4 に近い18箱にまとめたのでした。


 もう、涙なしには語れない、鬼のような断捨離模様がそこにありました。

 今でも想い出すと心臓の奥のほうがきゅーーーーんとします。
 もちろん、断腸の思いでお別れした物たちはすべて写真に撮ってあります。
 いちいちしっかり並べて写真なんか撮ったりしているから・・・・そんなことしてたから寝る時間がなくなった、という話もあり^^;


<本よ、さらば>
 家じゅうのほとんどの本を昨日のうちに写真に撮っておき、それを夫がfacebookにアップしていました。
「これらの本を処分するので、取りに来られる人は来てください」と。
 
 それを見たエジプト人の学生さんらが数人、大きなカバンを抱えてやって来てくれました。

 日本語教育の専門書だけではなく一般書も。

facebookってホントにすごいですよね。
写真とその情報をアップして数時間で沢山の人から反応があり、実際、山のようにあった本も全てみごとになくなりました。
時間があればしかるべきところに寄付するなり、あるいはちょっとしたガレージセールなどを開くこともできたのでしょうけれど、
なんといっても“早ければ”二日後には飛行機の乗らねば、という私たちが、それでも大量の本を引き取ってもらえたというのはfacebook・パワーによるところが非常に大きかったと思います。


<フライトは9日夜、荷出しは8日午後>
 まさかと思っていたけれど、結局「9日のエジプト航空の直行便でほぼ決まりです」という連絡が入り、泣いても笑っても荷造りの時間は明日一日を残すのみに。
 運送会社さんが荷物を引き取りに来てくれるのは「8日の午後」とのこと。

「午後」といっても、今回のような状況だと「午後1時」と「午後5時」では大きな違いが・・・・

 でも、そんなことまで気にしている余裕が無い。とにかくひたすら荷物を減らす作業に没頭。

 そして、夜は無情にも更けていく・・・・・