やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

二度目の「3.11」のあとに

 

ハタチを過ぎてからの自分の30数年間を振り返ってみたら、

国内と海外の生活がちょうど半々くらいでした。

 

オトナになってからは時間の半分は日本に居なかったことになるけれど、

北海道の父が亡くなった時はちょうど日本に住んでいて、

父の突然の発病から、手術、闘病、そしてお別れまでの全てが、家族4人で日本に住んでいた2年4ヶ月の間の出来事となったことは、今、考えても何か不思議な力が働いていたんじゃないか、と思えたりもします。

 

その後も

あの未曾有の大災害、2011年の東日本大震災のときもたまたま日本に帰国していたし(アラブの春の混乱のためエジプトから救帰国中で)

 

今回の新型コロナウィルスで世界中が騒然としているこの時期も、しっかり日本にいます。

なので今年の、震災から9年目の「3月11日」も、あの日と同じ埼玉県内の夫の実家で迎えました。

 

 

9年前のあの日は、子どもたちと近所の公園にいて公園全体がゆっさゆっさと揺れるのを感じ、慌てて家に帰りました。

家に戻ってしばらくすると、テレビには信じられない光景が映し出されました。

 

その後計画停電だんだん棚がスカスカになっていく近所のスーパーでの買い物・・・

それでもその時「エジプトからの退避帰国中」だった私たちは、向こうのようすが落ち着いて来たらエジプトに帰国

あちこちで暴動が起こっていたカイロに戻ると、スーパーには溢れんばかりの商品が並んでいて、びっくりしたっけ。

 

その後はまたしばらく海外生活が続いたので、震災後初めての「3.11」はカイロで迎えました。

その後もカイロ、ブダペスト、エドモントン・・・3月11日はずっと日本にはいませんでした。

 

なので2019年。

去年の3月11日は、あの日以来、初めて日本で迎えた「3.11」でした。

 

去年の3月11日、なんだかその日に日本に居る、ということに妙にドキドキして

どうしたらいいのかよく分からなくて、あの時間になる少し前にあの日と同じ近所の公園に行きました。

子どもたちには声はかけず、(いや、声はかけたけど二人とも「行かない」って言ったんだったかな?)一人で公園に行き、あの日と同じようにブランコに座りました。

あの時は、私の隣のブランコにみどりが座り、私たちの前では当時4歳だった草太が「即興オリジナル桃太郎」のお話を得意げに話して聞かせてくれていました。

 

いきなりのあの揺れは本当にびっくりしたよなー・・・

でも、ブランコに座っていたから、最初は微妙な揺れに地震とは気づかなくて、

草太の話聞きながら船漕いじゃったのかと思ったっけ・・・

 

そんなことを思い出しながら、ひとりでブランコに座っていたのが1年前。

 

 

今年も再び巡ってきたこの日の午後、なんとなくソワソワし始めた2時40分すぎに

一人で公園に行ってしまいました。

 

ところが。

今年は公園に近づくと子どもの笑い声が。

 

女の子が二人、何やら楽しそうに笑い合いながらブランコを漕いでいます。

 

この公園のブランコは二人がけのものが2つ。

4人で並んで使えるようになっていて、私の指定席(9年前も去年も座っていたブランコ)はちょうど空いていました。

 

いきなり公園に現れたオトナが、一人でまっすぐ歩いてきて、

自分たちが遊んでいるブランコの横に腰を下ろしたので

「え?なになに??」という感じで急に静かになってしまった二人の女の子。

 

明らかにこちらを気にしているようすでおしゃべりもやめ、黙々とブランコを漕いでいるので

「何年生?」と声をかけると。

 

「2年生」

大きな方の子が答えました。

 

小さい方の子は妹で、まだ学校には行っていないとのこと。

 

 

再び しーーーーーーーーん。

 

 

 

で、思わず聞いてしまいました。

 

「2年生かぁ・・じゃ、ずっと前の今日、すごく大きな地震があったこと知ってる?学校で聞いたことある?」

 

立ち漕ぎをしながら、首をブン!と縦に振る女の子。

 

「そっかーーー。」

 

 

再び しーーーーーーーん。

 

そして

 

「あの地震があった時、わたし、ここにいたの。」

 

何を血迷ったか、突然現れたオトナを持て余し、多分(間違いなく)早くいなくなってくれーー・・・と思っているだろう小学校2年生の女の子に、私はそんなことを言ってしまいました。

 

言い終わらないうちに「・・・やっぱ、やめとけばよかった💦」と頭の中で自分の声が。

でもまあ、言ってしまったわけで。

 

 

しーーーーーーーーーん…

 

 

黙々とブランコを漕ぐ二人を前に

これ以上ここに居ると、ほんっとこの子たちに悪いわ・・・と急に申し訳ない気持ちになった私は、えいやと立ち上がりながら

 

「学校、ずっと休みだと退屈になっちゃうよね。・・・・でも、ちょっと嬉しかったりする?」

と、できるだけ身近な(?)話題を、さっきのしょーもないつぶやきにかぶせるようにして2年生の子に向けてみました。

立ち漕ぎから座り漕ぎに変えて「うん。」と今度は声をだしながら、もう一度首をブン!と縦に振ったその子は、なぜかこっちをじっと見ていて・・・

 

 

なんだかよく分からないけど、ここはもう私はさっさと帰るに限る。

 

そう思って、公園をあとにしました。

 

私の姿が見えなくなったと思われる場所まで来たら

止まっていた時計が動き出したかのように、柔らかなおしゃべりと可愛らしい笑い声が聞こえてきて・・・

 

うわっ

わかりやすっ!

と思わず心の中でつぶやいてしまいました。

 

まー、そりゃ警戒するっていうか、

どうしましょう・・・って思うんだろうな〜、きっと。

 

 

来年のこの日も、きっとここに居ると思うから

私はまたこの公園に来てしまうかもしれない。

 

まぁ来年は子どもたち、まだ学校から帰ってきてない時間のはずだから、またここで誰かと鉢合わせることはないと思うけど。

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ただでさえ、色々な思いが渦巻くこの時期なのに、

今年はこの翌日に

 

WHO事務総長が新型コロナウィルスの感染状況について、パンデミック(世界的な大流行)という言葉を使い、

 

その全く同じ日に、ギリシャでオリンピック聖火の採火式が行われ、聖火リレーがスタート・・・

 

 

あぁ・・・つらいなぁ

 

もうやめてしまえ、とか

冷静に考えると無理じゃない? とか

でも、無くなるなんてあり得ない・・・とか

 

 

いろいろ、いろいろ聞こえてくる。

 

ウィルスより経済停滞が怖い とかも 

 

 

こんな状態がいつまで続くんだろうと思ったら、本当につらい。

 

いったい何に試されているんでしょうねえ・・・私たちは。

悔しいけど、負けたくないなぁ・・・

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 何が「負け」になるのかも分からないけど

せめてこの先、どんなふうに流れていったとしても、

何年か経って振り返ったときに

「あんなこともあったよねえ」と言える自分でありたい、と

今はそう思ってます。