正直言って、日本に帰り着いた4ヶ月前のあの日(7月10日)と、その後数日間の記憶はあまりはっきりしていません。
人生初の「二晩連続徹夜」を余儀なくされ、その後ヘロヘロになりながら乗った飛行機ではシートベルトをしたあたりまでの記憶はあるけれど、そのあとはなんだかよく覚えておらず・・・
トランジットのパリの空港で「PAUL」〜フランスの老舗パン屋。このヨーロッパの香り漂うナイスなパン屋兼レストランの支店が最近カイロの比較的行きやすい場所にも登場し、カイロ生活の後半ではママ仲間とよく足を運んだ〜を見つけ、「うわー、こんなところにもPAULがある〜」と血迷ったことをつぶやいてしまうほど、頭は朦朧としていたようです。
帰国翌日に夫が市役所に行き、今後しばらく日本で暮らしていくための手続きを取ってきてくれて、気がつくと埼玉県内の夫の実家での居候生活が始まっており、帰国2日後から子どもたちは近所の「坂戸市立城山(しろやま)小学校」に通い始めました。
カイロで通っていた日本人学校ほどではありませんでしたが、この「城山小学校」も小規模な学校で、そのせいもあってか子どもたちは、驚くほどのスピードで“初めての日本の小学校”での生活に慣れていきました。
そして突入した夏休み。
いや〜〜〜・・・頑張った、というかなんというか・・・
端から見ると『なにをそんなに生き急ぐ?』という感じだったかも、と、あの1ヶ月半を振り返った今、思ったりもして。
富士山、ディズニーランド、長野の自然体験・・・などはこのブログでもちょこっと書きましたが、その他にも「北海道2週間」というありがたいほど贅沢な日々もありました。ああ、そういえばつくばにも行って「イプシロン」打ち上げ数日前にJAXA見学・・・ということもあったっけ。(それだけに最初の打ち上げ失敗の時はかなりの脱力感でした・・・)
まさかこの時期に思いっきり【日本の夏休み】が過ごせるなんて思っていなかった私たちは、もう本当にこの貴重な機会を逃してなるものか!的な勢いがあったかもしれません。
そしてその意気込みは、夏休みだけにとどまりませんでした。
とにかくこの4ヶ月は、私たちにとっては本当に貴重な日々の連続だったことは否定しようがありません。
大きなアクシデントから生まれ出た私たちの日本での4ヶ月。
そう。それもこれも、エジプトのおかげ・・・???
27年に一度というものすごいタイミングで開催された高校の同窓会(同期会)に参加することができたのも、想定外の時期に北海道に帰省していたから。
卒業後27年目にして初めて行われた北広島高校第6期生の同窓会@札幌。
本当にエジプトという国には「やられた〜〜〜・・・」という思いが今でも消えていませんが、それでもこれだけ日本で貴重な時間を過ごすことができ、多くの懐かしい友人に会うことができ、子どもたちも“日本の小学校生活”をある程度まとまった期間体験することができた、というのは、これはやはり紛れも無くエジプトのおかげ・・・正しくはエジプトが混乱してしまったために早期帰国を余儀なくされたおかげ・・・。
次の生活の地ハンガリーへのフライトを明日に控えた今、
4ヶ月の日本での生活を振り返って思うことは
なんだかんだ言って、いろんな事ってうまく出来ているんだな・・・ということ。
今となっては、今回のこの「棚ボタ」的な4ヶ月が、実は「必然」だったようにさえ思えてきています。
おかげさまで、次の地でゼロからスタートするための英気を思いっきり養うことができました。
「早くハンガリーに行きたい。」と、ここ数日(いや、もっと前から・・・)新天地での生活を楽しみにしてくれている子どもたちと、そして派遣が決まった直後からコツコツと“独自の学習法”でハンガリー語を勉強し始め、ちょっとした会話ならもうけっこういけるかも?というレベルにまで達してしまっているらしい夫とともに、明日のフライトで東欧のハンガリーへ向かいます。
カイロでお世話になった皆さん、本当にありがとうございました。
そして、これからもお世話になるだろう皆さま・・・よろしくお願いいたします。