やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

「最後」がある、ということ

 まさか、あの「流氷」のあとに続くのが、このブダペスト最後の日に書くものになるとは・・・・。


 2月の終わりごろから、もう毎日のように書きたいことはたくさんあったのに、

 ブダペスト生活ももうおしまい、と思ったら、今までのあんなこと・こんなこと、いろんな“書き残しておきたいこと”が、わっさわっさと出てきていたのに。

 意外と書けないもんですね〜・・・ 毎日がパンパン過ぎると。

 そして「絶対書くぞ!」という強い意志がないと(^_^;)

 でも、今日は最後の日なので、強い意志を持ってサクッと書きます。


 
 3月。

 毎年同じように巡ってくる、今のこの時期、
 
 今年はなにやらいつもに増して、「節目」「区切り」、「別れ」・・・

 そんなものを強く意識することが多いなぁ・・・と思ってしまったのですが、

 もちろん、それは当然のことなわけで。 

 

 3月5日(日) ブダペスト日本人学校の卒業式

 6年前にカイロ日本人学校に入学したみどりが、この日、ブダペスト日本人学校卒業
 
 
 あちこちに散らばっている友だちの、たぶんトップを切って卒業証書を受け取ったのではないでしょうか?

 その10日後の15日には一緒にカイロ日本人学校に入学したY君が東京で卒業証書を受け取り、

 昨日はそのカイロ日本人学校で卒業式が行われ、6人の卒業生が卒業証書を受け取ったそうです。

 同じく昨日16日には、みどりがブダペスト日本人学校に転校してきた時に温かく迎えて入れてくれたクラスメートの一人、Mちゃんが神奈川県で卒業式を終え、

 そして明日、私たちの帰国日には、Mちゃんと一緒にみどりを迎えてくれて4年生の途中まで仲良く過ごしたSちゃんの卒業式@愛知県。

 その間に、ブダペスト日本人学校でみどりと一緒に卒業を迎えたクラスメート2人が、日本への本帰国ということでここ(ブダペスト)を旅立ち・・・

 もうあっちでもこっちでも「卒業」「旅立ち」「別れ」・・・


 毎年毎年繰り返されているはずのこれらのことが、今年は明らかに、大きく重い。そして真正面から私たちに両手を広げて迫ってきました。

 そして、私たちは、それをしっかり受け止めることができています。


 それがとても嬉しくて。

 この1ヶ月ほどの間、私はずっと幸せを感じていました。


 卒業式で我が子だけではなく、まるで“我が子”のようについつい見てしまいそうになるみどりのクラスメートたちの立派な姿を見ることができました。

(そうそう。今年の卒業式は欠席者ゼロだったのですよ・・・(笑) 去年のことを知っている私たちにとっては、もうそれだけでも「ブラボー!」って感じだったのですが、卒業式そのものの内容も子どもたちの『卒業の言葉』もそれはそれは素晴らしいものでした。)


 その数日後の「離任式」では、3年間のハンガリー生活を終えて帰任される日本人学校の3人の先生方の、これまたナイスなご挨拶、心温まる「贈る言葉」に、心の底から泣き笑い。


 あぁ、ちゃんと「終わり」がある。

 みんなで「区切り」を共有してる。


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 ここ、ハンガリーに来てからの3年4ヶ月。

 楽しい楽しいブダペストでの毎日を過ごしながら、

 でも

 自分の心の中には、いつもどこかに、
中途半端なまま終わってしまったカイロ生活があったような気がします。


 気がついたら帰国することになっていて、

 2日間寝ずに荷物の整理をして

 お別れを言いに我が家に来てくれようとした友人からは
「近所の道が封鎖されていて、そっちまで行けない。」と電話が入り、

 せめて、空港までの街並みをこの目に焼き付けて帰りたい・・・と思っても、フライトが早朝6時半に変更になったため自宅を出たのが午前3時。真っ暗で外の景色なんて見えたもんじゃない・・・・。


 日本人学校も「臨時休校」が続いていて、友だちにも誰一人として「さようなら」を言うことなく・・・・

 お別れ会?

 ママ友との送別ランチ??

 思い出のメッセージカード? 

 友だちからの寄せ書き??


 
 何ひとつ無いまま、終わったエジプト、カイロ生活。


 だから、

 今回のように

 最後」を感じられるいろいろなものがてんこ盛りだった日々は、正直、私にはとても嬉しく感じられました。

 
 ちゃんと「最後」があるっていいよな〜・・・。
 
 「最後」なんていうと寂しいけれど、

 「お別れ」を意識しなきゃいけないなんて、悲しくて仕方ないけど、

 でも、みんなで「最後」を共有できる って、なんてシアワセなことなんだろう。

 

 この1ヶ月、常にそんな思いで過ごしていたように感じます。


 本当は去年の11月までの予定だったブダペスト生活が、夫の任期延長のおかげで3月までここにいられるようになったこと。みどりの小学校卒業という大きな節目をここで迎えて、そして別の地へ旅立っていけることになったこと。

 これも本当にありがたかったです。


 そして次はカナダ

 村上ファミリー史上最高の先進国での生活(笑)が待っています。

 
 何人もの人に言われました。


「前の(エジプトからの帰国の)ことと合わせてプラマイゼロ、って感じじゃない?」

「おつりが来ちゃいそうだね。」


 はい。

 もう十分おつりをいただいております。

 もう、これでもか! って言うくらい、嬉しくありがたい最後の数週間、数日間を過ごさせていただきました。


 ブダペストの皆さん、本当にお世話になりました。

 特に、一緒に走ったり一緒に大声で応援したりあっち行ったりこっち行ったり・・・

いろんな「楽しみ」を共有してくれた皆さま。

 感謝!です。


 

  お別れは寂しいけど、そんなふうに思えること、


  そう思えるような日々を過ごせたということと同時に、

  そう思うことができる環境であること、状況であることに、感謝しながら

 ブダペスト最後の夜を噛み締めたいと思います。(そろそろ朝だけど・・・・)

  


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 3月15日、家族で最後に行ったマルギット島。春はまだもう少し先だった・・・。



 もう少ししたら、またこんなふうに緑に囲まれるであろう「お世話になった我が家」 
 
 




【おまけ】
カイロ生活を終えるときには、何ひとつ「お別れ」を実感できるものはなかった、と
書きましたが・・・

帰国して、ややしばらく経ってから私の手元に届いたこれ。

カイロの友人らが作ってくれたメッセージ・アルバム。
たくさんの人からの一言メッセージとあちこちから集めてくれたのであろう思い出深い写真満載。

これがあって救われました。
カイロ組のみんなにも感謝!




【幸せな後日談】
3月17日午後。

 春休みブダペスト残留組(一時帰国や旅行に出かけずブダペストStayの人たち)が、こんなにたくさん見送りに来てくれました。

・・・実は、当日の明け方近くに書き上げたこの日のこのブログを誰かが読んで、みんなに声掛けしてくれたのかも(笑)