そうなんです。
2月29日という日は、4年に一度しかやって来ないのです。
なので、やはり今朝起きた時は
「あぁ今日が命日かぁ・・・なんだかあっという間だったな・・・。」
などと、たぶん多くの方々が大切な人とのお別れから1年経った同じ日付の日に思うであろうことを、私(たち)も思ったわけですが・・・でもそれって、実は4年も前のことなわけで、改めてその時間の長さを考えて「驚愕」に近い感情を抱いてしまいました。
今7歳のみどりが、あの時はまだ3歳だったってこと?
今の草太より2つも下だったってこと?
うぬぬ・・・それはかなり昔のことのような気がするのですが、
でも、一方でそんな感覚は全くなく。
それにしても、教員生活38年(・・・だったかな?)の、そのすべてを【現役体育教師】として過ごした父の命日がオリンピックのある年にしか存在しない「2月29日」になるとは・・・。
最期まで自分の「生き方」、「生きざま」にこだわった父の、静かで頑固なメッセージが、こんなところに込められているような気がしてならないのは私だけでしょうか?