やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

あっという間の1年 <その1> ムバラク退陣後


 2月11日が終わろうとしています。

 1年前今日、エジプトでは約30年間続いたムバラクの独裁政権に幕が降ろされました

 この日、2011年2月11日(金)は、私は都内のホテルにいました。
 エジプトの政変による『退避帰国』で2月4日に日本に着いてから、ちょうど1週間が経った頃でした。

 日本に到着してからはずっと埼玉県内の夫の実家にいたのですが、12日(土)から私の実家のある北海道に母子でちょっとお里帰り(もちろん何か情勢が変わったらすぐに夫の実家の方に戻ってくる、という心づもりで)・・・ということで、羽田にアクセスしやすい蒲田駅近くのホテルに泊まっていたのです。

 ホテルの部屋にはテレビもありましたが、その日は特に見たいものがあるわけでもないし・・・ということで一度もつけること無く子どもたちとベッドに入りました。
午後10時前には私も眠りについた、と記憶しているのですが・・・・、

日本とエジプトとの時差は7時間。

 その頃(エジプト時間では午後3時ごろ)、カイロでは金曜日の集団礼拝を終えた人々が続々とタハリール広場に集まり始めていた、ということをあとで知りました。

 前日の10日のムバラクによる『緊急演説』が、“私は絶対(大統領を)辞めない”という驚きの(エジプト国民にとっては思いっきり期待はずれの)内容だったことから、人々の不満は今や頂点に達しようとしていた・・・ということも、あとで知りました。
 http://bit.ly/ha5DFn
 http://news.blogs.cnn.com/
 http://bit.ly/zNgdeJ



 スレイマン副大統領(当時)によりムバラク大統領の辞任が発表されたのが11日の午後6時(エジプト時間)頃だったとのことですので、日本時間だと12日午前1時頃。

 もちろん私は夢の中。

 翌12日の朝、羽田空港へ向かうためチェックアウトしてホテルを出ようとしたその時、ロビーに備え付けてある新聞の朝刊の見出しがチラリと目に入り、「あれ???」と思ったことは覚えているのですが、その見出しの内容がどんなものだったのかは正確には覚えておらず・・・。

 でも、12日未明(日本時間)に発表されたムバラク退陣のニュースが、その日の朝刊に間に合うものなんでしたっけ? 

 自分が、どこでどんなタイミングで「ムバラク退陣」のニュースを確実にGETしたのかが、今となっては思い出せない、というのが我ながら情けない話で。

 そのくせ、タハリール広場に花火が打ち上げられ、エジプト全土が歓喜に湧きかえっていたその瞬間、何も知らずに都内のホテルで子どもたちとぐっすり眠っていたことが、なんとなくもったいないような悔しいような・・・そんな気がしたのもまた事実です。
(ロイター)
(ロイター)

 
 そして、それからあっという間に1年が過ぎ・・・
 
 2012年2月11日。

 あの時歓喜に湧いたタハリール広場には今年もやはり多くの人が集まったようですが、
1年前のような高揚感はなく、
“エジプトのこれから”を思う熱くそして明るい希望に満ちた顔で溢れていたわけでもないようです。


 溢れているのは、暫定的にエジプトを統治している軍最高評議会への不満。“エジプトのこれから”についての不安。

 とにかく今の状態を何とかしてほしい、と思っている人が多いように思えます。

 そして、これ以上の混乱はもうたくさん、という思いも。

 
 2月1日のポート・サイドのサッカー場での<事件>(http://bit.ly/wW6dIb)も、エジプトの人々にとっては、私たちが想像する以上のショッキングな出来事だったようです。

 数日前から言われていた「2月11日からのゼネスト」も、結局はほとんど行われていなかったようですし、やはり今は、「騒ぎよりも落ち着き」「混乱よりもと安定」を望む声が圧倒的多数、ということなのではないでしょうか。


 今年の6月には大統領選挙が行われる予定のエジプト。

 来年の2月11日にタハリール広場に集まる人々の顔には、喜びや希望が満ちていてほしいものです。




あれ??
そういえば、2月11日に出されると言われていた(らしい)軍最高評議会による【大切な発表】って・・・、結局、何もなかったんでしたっけ??