やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

「静かな日々」が続かないように・・・・と、誰かがどこかで何かを引っ張っているんですか?

 数日前に「1月が静かに過ぎた」などと平和な内容をのほほんと書いてしまいましたが・・・。


 いえ、その頃だって、実は本当は全く何もなくて退屈するくらい平和な毎日だった、というわけではなく、

かつては極稀にしか発生していなかったという銃を持った銀行強盗事件が立て続けに起こったり(1月30日)、
近隣国シリアでのあまりにも悲惨な状況に抗議すべく、多くの人がカイロ市内のシリア大使館に乱入したり(1月28日)、
ほかにもタハリール広場には常にそれなりの人が集まっていたようですし、ナイル川沿いの国営テレビ局の前でも時々衝突があった、とも聞いていました。


 それでも、まさかこんな悲惨な出来事が起こってしまい、そしてまた国中が不穏な空気に包まれることになるなんて、
正直、全く思っていませんでした。


 2月1日夜、カイロの北東約200kmに位置するポートサイドという街で起きたサッカー場での<事件>

 第一報が入ってテレビの映像を見たとき(PCで作業中だった夫にfacebookの友達であるN君がチャットで「あの映像見ましたか?」と知らせてくれたそうです)は、サッカー場にサポーターが乱入し騒然としたようすが映しだされており、「なんだ?これは・・??」という感じでした。

 その後、知った「死者60名以上」というとんでもない数字。


 そして、その翌日にはすぐに「全て治安当局による陰謀説」などと多くの人(メディアも含めて)にささやかれていた・・・というのですから、本当に体中の力が抜けてしまいます。

 「“やっぱり『非常事態令』がないとダメだ”、と人々に思わせたい人たちの仕業だろう。」
 「これが仕組まれた出来事でなくて何であろう。」
と、誰もが思いたくなるくらい、あまりにも死者数が多すぎ、またそこに至るまでの流れの不自然さが映像にも残っていた、ということなのでしょう。


 ちなみに私はと言えば、夫がこの時の映像をfacebookにアップした際(この映像は残念ながら【YouTubeの利用規約に違反したため削除】されてしまっています)に
 「結局血の気の多い人種なんじゃん、エジプト人って」って思われるだけのような気がするんですけどー・・・・。いや、確かに日本人よりは数倍血の気は多いですけどー・・・。でもいくらなんでもこれはないでしょう。

 と、お恥ずかしながら、どちらかと言うと「またやっちゃったの?(エジプトの)皆さん」的なコメントを残しています。
 サッカー場の乱闘騒ぎで60人も70人も死亡するということの異常さと、ほんとうの意味でのエジプト人気質、そして今のエジプト事情を、やっぱり私は理解できていないのね・・・と、ちょっとしょんぼりしました。


 今回の<事件>で犠牲になった多くのアル・アハリ−(サッカーチーム名)のサポーターは、ムバラク政権打倒の先頭に立って活動をしていた人が多かったそうです。

 翌日、たまたま「アル・アハリ−」のショップの前を通ったのですが、シャッターが降ろされ、そこに2人の男性が黒地に白抜きの文字で書かれた紙を貼っていました。タクシーですぐに通り過ぎてしまったので写真を撮る余裕もなかったのですが。

 サッカーを見に行くのは若い男性が多く、今回犠牲になった人たちの中にも10代、20代の若者が多かったと聞いています。騒ぎが起こったため、外に逃げようと多くの人が出口に殺到し、そこでの圧死がほとんどだったそうです。逃げ口となるはずだった扉が閉められていたため、死者数が予想外に膨らんだ・・・とも聞いています。また「出口が閉められていた」ことが既に陰謀説を臭わせている・・・などとも。

 このあまりにも悲しい<事故><事件>を受け、国は【3日間喪に服す】ことを発表しました。

 国会での議論もほとんどがこの<ポートサイド事件>のことのようで、全てアラビア語なので何を言っているのかは「???」なのですが、拳を振り上げ「ポートサイード」などと言っているのだけは何度も耳に入ってきます。そして、KFCでランチをした時も、用事があっておもちゃ屋で買い物をした時も、店員は店内のテレビの国会中継(たぶん)に釘付け。みんな本当に真剣な顔で食い入るように見ていました。

 
 実は、今日の夜、我が家は4人そろって、ハンハリーリという地域に「タンヌーラ」と呼ばれるスーフィー・ダンスを見に行ったのですが・・・週3回、月・水・土に行われていることをちゃんと調べて行ったにもかかわらず、会場につくとまだ誰もおらずシーンと静まり返っていました。

 そう。3日間の喪に服しているこの時期、歌や踊りなどは全て中止。

 そこまで考えは回っていませんでした。

 仕方なく、またタクシーに乗って家へ帰ることにしたのですが、帰り道のほんの20分ほどの間にも、少なくとも2ヶ所で今回の<事件>に関連しているのであろう集会のようなものを目撃しました。


 タハリール広場では、夜になって続々と人が集まりだし、周辺地域では電気が切られたところもあるとか。
警察が実弾を発砲し始めた、との情報も入ってきて、夫は

「明日も自宅待機になるかも・・・・」とポツリとつぶやきながら寝室に消えました。


 さて、2月5日(日)。
 職場に行くにはタハリール広場を通らねばならない夫は、またしても「自宅待機」となってしまうのでしょうか・・・・?

 そして、これからのエジプトは・・・??


http://bit.ly/AzFOnO