やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

カイロに戻ってもうすぐ10日

〜もうしばらくはリハビリ中・・・?〜

  あっと言う間に4月になってしまいました。日本からは桜の便りが聞こえてきます。
日本で1ヶ月半を過ごした後、私たち(子どもたち+私)は3月23日(水)、ついに成田からカイロへ向かって出発しました。

「あと一週間くらい時期がずれていれば桜が見られたんだろうけどなあ・・・。」とそんな思いを残しつつ。


  23日(水)夜に成田を出たカタール航空機はまず関空に立ち寄り、そのあとドーハで約8時間の待ち時間があり・・・翌24日(木)の夕方、やっとカイロに到着。26時間近いフライト+トランジット(待ち時間)の旅でしたが、同じく帰国組のSさん親子(5歳と3歳の女の子)と一緒だったので、長い待ち時間も子どもたちは空港のキッズスペースで遊び倒し、母たちは日本の雑誌を読みあさり・・・としているうちに意外と早く過ぎてくれました。


   カイロの航空を出て家に向かったのは夕方5時過ぎ。夫の職場の車が迎えてきてくれており、スムーズに自宅まで帰ることができました。外はまだ明るくて車の窓からは街の様子がよく見えました。

最初に目に入ったのが、奇麗な真っ赤な花。
ハノイやバンドンでもよく目にした火炎樹によく似た紅い色。でも、明らかに違う花。

なんていう花だろう・・・と思いながら車に揺られていたのですが、
自宅に着くと、懐かしいアパートの目の前にも同じ木がすっくと立っていました。

2月初めにこのアパートを出たときには全く見えなかった花が目の前にボンッと現れ、やはり長い時間留守にしていたことを実感。

そして、もう一つ驚いたのがアパートの入り口の鉄格子。

以前はガラス戸のみでした。


 あの一連のデモ以来、今までのように警察が大きな顔をして好き勝手(というのも変ですが)できなくなってきている、とはよく耳にしていました。権力を自由に使って賄賂を要求したり・・・ということができなくなっているというのならそれはそれでいいのかもしれませんが、反面「強い警察」「怖い警察」がいなくなってしまったわけで、自分たちの身は自分たちで守らねば、という社会の流れになってきているのでしょう。

 とはいっても、日常生活を普通に過ごす上では私自身は危険や不自由さは特に感じていません。


むしろ、スーパーなどに行くとその品物の豊富さに圧倒されてしまうくらいです。
最近でこそ「品揃え豊富なスーパー」に慣れてきましたが、帰ってきて数日後に初めて近所のスーパー(いつもよく行っていた24時間営業のメトロ・スーパーマーケット)に一歩足を踏み入れたときは、本当に一瞬めまいがしそうでした。


 その前に買い物に行ったスーパーは、埼玉県坂戸市の西のはずれの小さなスーパーマーケット。震災後は、いつ行ってもパンはほとんど売り切れ、牛乳もなくなり野菜も常に品薄。「まるで退避前のメトロだ・・・」と思いながら思わず記念撮影までしてしまいました。

<3月19日の西坂戸全日食チェーンスーパー>


 それがどうでしょう!
久々のメトロスーパーは・・・


本当に「これでもか!」というくらい、棚の端から端まで隙間無く並べられた食品の山。


しばし、ぼー・・・っと見つめた後、
「こんなにあって、誰が買う? 日本に送った方がよっぽど喜ぶ人は多いはず・・・」
「これ、送れないかなぁ・・・?」
などと考えている自分がいました。



 タクシーに乗っていても、道沿いにガソリン・スタンドを見かけると
「あ、ここはちゃんと営業してる・・・・いやいや、ふつーは開いてるものなんだって!」と自分で自分に突っ込みを入れる始末。

 でも4月に入りカイロ生活もそろそろ10日になろうとしている今は、物にあふれたスーパーや常に開いているガソリンスタンドにもだんだん慣れてきてしまいました。

 こちらは計画停電もありません。もちろん「無計画/突然停電」はありますが、今回戻ってきてからはまだ自宅は一度も停電していません。

 以前よりは多少治安が悪くなっている地域もあると聞きますが、それでも、色々な意味で今はカイロにいた方が平穏無事に生活ができているような気がしています。



  カイロに戻った翌日と翌々日は週末だったので家でゆっくり過ごし(こちらは毎週金・土が休みです)、27日(日)から子どもたちは久しぶりに学校(幼稚園)へ。実に丸2ヶ月ぶりです。久々の登校なので、この日は私も一緒にタクシーで学校へ向かいました。

  子どもたちが通っているのはCBS(Cairo British School)。外国人の子どもも多く通っている学校です。
 門を入ると・・・
見慣れた先生の顔が。
そしてその顔がパァーっと明るくなり、子どもたち二人をとびきりの笑顔で迎えてくれました。
 デモで混乱している間それぞれの国へ帰っていた外国人の子どもたちも3月後半からは徐々に戻り始めていたけれど、大きな地震と津波に襲われた「日本」からはなかなか帰ってこない・・・と、先生方も心配してくださっていたそうです。

  大きな混乱の中、新しい国造りへ向けて進みつつあるエジプトから見ても、日本のあの大震災は大きな出来事だったようです。
 一歩校舎に入ると、目の前の大きな掲示板には「JAPAN」の文字とたくさんの新聞記事。


全て地元の英字新聞の記事でした。

 学校ではこの時期「読書週間」となっており、本来であればそれに関する(読書を推奨するような)掲示物が貼られるはずの場所です。そこがすべて『日本の大震災』の新聞記事で埋められていたことに、この学校の先生達の関心の高さを強く感じました。



 さて、子どもたちを学校に送り届けた後、この日、日本に本帰国する友人の見送りに行き、
そこから家へ帰ろうとしたその時でした。

 「あれ?」

 タクシーに手を挙げようとしたとき、一瞬躊躇しました。

 タクシーに乗ったら運転手に告げなければならない「自宅の住所」が・・・・思い出せない。


  いや、正確には、いつも運転手に告げていた家の近くの大きな通りの名前が思い出せない。
  
  ちょっと立ち止まって、
  そのあと2〜3歩歩いてみて、
   
  でも思い出せない。


  どうしよう?
  歩いて帰る?  いや、遠すぎる。
  ってか、途中で道に迷うに違いない。

  友達に電話する?「うちの近くの通り、なんて言うんだったっけ?」

  それもどうも恥ずかしい・・・・・。



  結局、お仕事中の夫のケイタイにメッセージを送ってしまいました。


  送られてきた返事を見た瞬間、「あぁぁ〜〜あ、そうそう。」と思わず声を出してしまった私。
  

  こんな感じで少しずつリハビリしながら、カイロ生活のペースを取り戻している今日この頃です。

 



 今日は4月3日。今のカイロは、珍しく横殴りの雨が降っています。