<退避帰国日記>なるもの(内容はすべて一ヶ月前の記録)をちんたら書いているうちに
一足先に夫はカイロに帰ってしまいました〜〜〜!
3月4日(金)の夜に成田を出て、関空経由のカタール航空でドーハへ。そして5日(土)の夕方にカイロへ。
夫にとっては、ちょうど1ヶ月間の「退避帰国」でした。
カイロ日本人学校の先生とそのご家族も7日(月)にはカイロに戻るとのことですので、
私たちの帰国も近いとは思うのですが、まだ具体的な日程は聞いていません。
カイロに着いた夫からは早速ケイタイにメッセージが入り、その後も家の様子を写したビデオが届き、子どもたちに向けて『待ってるよ〜、帰ってきてね〜』とメッセージ。
さらに近所のスーパーに買い物に行きがてら、周りの様子やスーパーの中をビデオに撮って送ってくれました。
いや、懐かしい。
カイロではほとんど毎日通っていたスーパーです。
家から歩いて2〜3分。
もう一ヶ月もご無沙汰しているなんて信じられない感じです。
でもたぶん、もう少しでまたここに通う日々も戻ってくることでしょう。
ではここで、夫からの報告の中から
ホッとしたこと1つ、嬉しかったこと1つ、ゲゲッと思ったこと1つをそれぞれご紹介します^^
1.ホッとしたこと
「家の中は荒らされていませんでした」
実は<退避国日記:2月2日>にもちらっと書いたのですが、カイロを出発するその日、鍵の掛からないベランダ(バルコニー)のガラス戸にはガムテープで目張りをしていこうと思ったのですが、出発直前の停電のせいでバタバタしてしまい、結局そのまま家を出ました。
アパートの15階。よく考えるとこれまでもずっと鍵の掛からない状態のままここで生活をしていたのですから、それだけ無用心・・・というかそれだけ治安が良かった(?)カイロ、というわけなのですが、今度はどれだけ家を空けることになるかわかりません。退避直前にアパートの前にいた自警団の皆さんも、いつまでも夜を徹しての番を続けるわけではないでしょうし・・・。
まさかまさか、とは思うけど、日本から帰ってきたら家の中がめちゃくちゃ・・・なんてことになっていたら、とさすがの私もちょっと心配していました。(でも「ちょっとだけ」でしたけど・・・^^;)
が、とりあえず何事もなかったようで・・・
よかったよかった^^
2.嬉しかったこと
「ポットがちゃんと返ってきました」
カイロ出発の日の朝も自警団の皆さんに差し入れをしたのですが、そのとき飲み物を入れていったポットを2つ、彼らのところに置いたまま私たちは空港に向かったのでした。1つはモンゴルで買ったあまり保温性の高くない中国製ポットだし、もう1つはこの家に入ったときから台所にあった大家さんの私物かと思われるものだったので、なくなったとしてもまぁ新しいの(いいやつ)を買えばいいか・・・くらいに思っていたのですが、夫からのビデオの片隅にポットが2つ並んでいるのを見たときはやっぱり嬉しかったです。もちろん「ポットが返ってきた」という事実よりも、『これはあの日本人のポットだ』と彼らが覚えていてくれて私たちが帰るまでどこかにキープしておいてくれた、ということが。
3.ゲゲッと思ったこと
先ほども書きましたが、カイロを出るその日の朝、突然停電になりました。そして迎えの車が来たためにその停電の最中に家を出なければなりませんでした。・・・ということは、電気のスイッチがオンになったままのところもあったわけです。今朝とどいた夫からの「無事家に着きました」のビデオの中で彼は言っていました。
「あ、そういえば家に着いたとき、テレビがつきっぱなしになっていたのには驚きました。」
私たちが日本で過ごしていた1ヶ月間、カイロの我が家のテレビはいったい何を映し出していたのでしょうか??
「まあ、そのおかげで誰にも侵入されなかったのかもしれませんが。」と続ける夫。
確かにそれもあるかもしれませんが・・・・。
電気代・・・
カイロの七不思議の中に「電気代のバカ高さ」というのがあるだけに、ちょっと次の請求額が気になる私です・・・・。