やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

初めての…とか、最初で最後の…とかが重なった【さよなら中野サンプラザ】の日。

 

33年ぶりのリベンジの話はどうなったんだい・・・とか

自分でも思いながら、まず「久々に“非日常”を味わった数時間の記録」を。

 

東京 中野駅の目の前にある『中野サンプラザ』

 以前(すごく前だけど)、JR中央線をよく利用していたころ車窓から目にはしていたけど足を運んだことはなく、某バンドのボーカルの名前とよくごっちゃになっていた(あ、今はバンドとしては活動していないか)…そんな思い出しかないままに閉館・取り壊し→再開発・・・となる歴史ある複合施設。

 

その『中野サンプラザ』で、今回、ついに

スタレビ:スターダスト・レビューの生の歌を聞くことができました。

 

 数年前に生活の拠点が埼玉県内に移ってから、せっかく首都圏に住んでいるのだから(そう。ここだって首都圏‼)その恩恵を享受せねば…との思いから、昔からよく聞いていたアーティストのライブにちょこちょこと行き始めたのですが、

 

*** 昔からよく聞いていた 👉👉 さだまさし、小田和正(というか体に染み込んでいるのはオフコースの曲のほうが多いかもw)このあたりww ***

 

で、ある日(検索してみたら2022年11月1日だった)

その日は NHKの #うたコン にスタレビ、スターダスト・レビューが登場。

♬シュガーはお年頃 (⬅デビュー曲とは知らなかった)をもう何年ぶり⁉  という思いで聞いて、

そうだ。やっぱり今度はスタレビのコンサートに行かねば。》と、つぶやいていました。

 そして実現した生スタ☆レビ第一弾 が、

【さよなら中野サンプラザ音楽祭 スターダスト☆レビュー ✕ 怒髪天】

 

「どはつてん」というバンドとのジョイント…って言うんですかね?

とにかく2バンド合同ライブ(👈イマドキの言い方がわからん💦)

 

“スタレビ狙い撃ち”で単独ツアーのライブを選ぶ、という選択肢もあったけど、

ちょっと調べてみたらこの怒髪天のメンバー4人、全員北海道出身

そして1966〜68年生まれって(笑) とたんに親近感。

で、これもご縁、とチケットGET。

今回のことがあるまで実は名前すら聞いたことがなかったんだけど(周りの人は結構知ってた…)数日前には(ちょっとだけど)“予習” もして当日に臨みました。

 

 スタレビは思いっきり大学時代を思い出す、というか大学の時にかなーり聞いていたので、そのせいかライブ当日の朝、目が覚めたらものすごーーく久しぶりに大学時代のあの人やこの人が出てくる夢を見ていたことに気づき自分でもびっくり。

そして、自分の体に染み込んでいる曲は全部30年以上前の曲…という自覚があっただけに、ちょっとドキドキしながら会場に向かったのでした。

 

 

2023年5月11日(木)

 

初めての『中野サンプラザ』。

初めての怒髪天。

初めての生スタ☆レビ

 

 

昭和の香り漂う会場でその時を待ち、

いよいよライブスタート‼

 

と思ったら、いきなりのクイズ大会。

まずは「中野サンプラザクイズから・・・(⁉)

 

 当然の流れと言わんばかりに嬉々としてクイズの進行役を務めるスタレビボーカル根本要氏は、その展開に多少動揺する客席に向かい「まさか歌だけ聞きに来たわけじゃないだろ?」的な発言。

 あー、この年代ってこういうノリが多いの?(笑)と、一人こっそり某ベテランミュージシャンを思い出したりして。

 

そしてじゃんけんでの順番決めの結果(この辺はお約束になっていたとは思うけど…)

まず怒髪天登場。

半分は予習していた曲だったけど、いや〜〜

なかなかパワフルで、めちゃくちゃ久しぶりの雰囲気

ひさしぶり・・・?

あぁ、このずっと踊っているようなこの感覚・・・

と、もう味わうことのできない H◯◯◯D D◯◯ のライブをちらりと思い出して悲しい気持ちになったりもしながら、本当に久しぶりの立ちっぱなし、踊りっぱなしの時間に身を置きました。

・・・まっさん、小田さんではこういう状況にはなりませんので(笑)・・・

 

 

いよいよスタレビが登場し

夢伝説の前奏がバンバンバンバン バンバンバンバン....

いや、ベンベンベンベン・・・?? 

(文字にすると演歌のようだ…)

とにかくあの心に響く前奏が聞こえた途端

「キターーーーーー!!💦」と涙が吹き出しそうになったけど

 

大丈夫でした。

ちゃんとしっかり冷静に、でもとても楽しく一緒に歌うことができました。

 

そう。

声出しOK になっていたんですよね。全くありがたいタイミングでした。

 

同会場の別のフロアではワクチン接種も行われていたようだけど、

少なくとも2階の大ホール内はもう普通のライブ会場以外のなにものでもありませんでした。


2曲めの還暦少年と…、あともう数曲あったかな。一緒に歌えなかった曲。

 

でも、デビュー以来40年以上、たくさんの歌を作り、歌い続けているスタレビのライブにいきなり来ても(もちろん空白の時間を埋めるための予習はそれなりにしたけど)

私の体に染み込んでいる80年代の曲たちの登場率がけっこう高かった気がしてかなり嬉しかったー。

 

 クイズの続きをやったりしながら、時間も大幅にオーバーして終わった初のスタレビ・ライブ。(あ、怒髪天さんもです)

 

 でも、この会場は【さよなら音楽祭】の真っ最中で、

sayonaranakanosunplaza.com

ロビーの片隅には、過去50年間の大ホールの利用記録ノートのようなものがあり・・・

これがめちゃくちゃ見応えありました。

例えば 1987年ごろ。

東京モード学園の「ファッションショー」があり、

角松敏生コンサート、神田正輝バレンタイン・ナイト、尾崎亜美、

河合奈保子、忌野清志郎・・・

 

過去、ここに足を運んだことのない私でさえ、へ〜〜 あの頃こんな人たちが・・・と

食い入るように見てしまったので、昔からここにご縁のある生活をしていた人たちはタイムカプセルに入り込むみたいな感覚でページをめくっていたのかもしれませんねー。

 

たくさんの人がこの前で写真を撮っていました。 (私も撮ったけど)

 

次の50年へ。

 

50年後、人々はどんなふうに音楽を、ライブを楽しんでいるんでしょうね。

 

 

             そして、生スタ☆レビ第二弾へと続く・・・

 

はじまりは《ペナンマラソン》 〜33年ぶりのリベンジなるか?〜

少し前にこれが届きました。

今度の日曜日のマラソン大会のパンフレット。

 

これを書いているのは、4月9日。

このかすみがうらマラソン2023のちょうど一週間前。

 

今日は統一地方選挙の日でしたけどね。

投票に行こうと家を出た時は、

「あ、(一週間後のこの時間は)少し前にスタートしてるんだ。」

 

昼ごはん食べながら

「ん〜〜、今ごろは30km付近かも。」

 

そんな感じで過ごした4月9日。

 

 *****

 

42.195kmのフルマラソン。

 

自分にとっては、正確には「未知の距離」ではないんだけど

 

“制限時間内にフルマラソン完走”

 

これができたら

きっと新しい景色が見えるに違いない。

 

そんな話。

 

《ペナンマラソン》

正式には《ペナン・ブリッジ国際マラソン》というのがあります。

マレーシアのペナン島にかかるとっても長い橋(13.5kmだそうです)を走るマラソン大会で1985年からもう40年近くも続いている大会です。

 

だから、私がそれに参加したのは第6回大会だったのでしょう。

当時、ペナンからは600km以上離れたマレー半島南端のジョホール・バルという街に住んでいた私が、インターネットなど皆無の時代にどうやってその大会のことを知り、申込み、参加したのか、今となっては全く覚えていないのですが、

 

とにかく、ここで生活する2年間(※)でなにか忘れられない思い出を作りたい、という気持ちだけは絶対譲れないものとして自分の中にあったのは覚えています。

 

 

でも、それがなぜフルマラソンだったのか… は、不明。

 

もう若気の至りとしか言いようがないんだけど

33年前の私は、練習する環境も一緒に走る仲間もいないのに、気がついたらエントリーしており(←経過を覚えていないだけ)

そして、日帰りできるような場所ではなかったので、

校長室に行き、「ペナンマラソンに出たいので」という理由で校長に直々に休暇の申請もして・・・

 

そんなふうに気合い満々で出かけて行ったのですが、

 

まあ、世の中そんなに甘くない。

 

《ペナンマラソン》への参加を職場で数名の同僚に表明した時、

「とにかくゆっくりでも長い時間走る練習を。」と

唯一、身近なところにいたフルマラソン経験者Ms.Kongからアドバイスをもらえたものの

 

“長い時間” ってどのくらい・・・? 1時間? 2時間?

というレベルだったので

たぶん「初心者がフルマラソンを完走できるようになるための練習」なんて全くできていなかったはず。

 

で、いい訳するつもりはないけど、

マレーシアは暑い。

高温多湿の常夏の国で、しかもイスラム教の国で若い女性が…

いや、今思い出してもこれは厳しい・・・(笑)

 

 

それでも、

もうなるようになれ!

という気持ちで夜行列車でペナンへ。

1990年の・・・何月だったかなあ?

(常夏の国って、いつでも「夏」なので時期的な記憶が残りにくい)

 

本当に記憶がすでに曖昧だけど

とにかくまだ真っ暗なうちにスタートしたのは覚えていて。

 

レース途中で夜が明けて、朝日を浴びながら走ることができる…というのがこのレースの売りのひとつらしいけど、全く記憶なし。

 

やっぱり、いくら若くてもそこそこの練習しておかないとフルマラソンを走り切るってのは普通、無理でしょう・・・

 

と、今の私なら分かるんですけどね。

 

もう、ほんとしつこいけど若気の至りです。

 

どんなコースを走るのか、という事前チェックもしていなかった。

 

ただただ、周りの人に追い立てられるように走っていって

(たぶん最初からかなりのオーバーペースになっていたことであろう・・・)

 

どんなタイミングでペナン・ブリッジを渡ったのかも覚えておらず。

 

途中、もうほんとに足が動かなくなった時に誰か(多分スタッフ)  が脇道でエアースプレーをシューーーーーッッ!!‼とかけてくれて、

その時、一瞬は足が軽くなって、これなら行けるかも! と思ったけど

でも、そんなの気のせいで、すぐにもうガクガクになって。

 

次に覚えているのが、

目の前に、やっとゴールの競技場が見えてきた時。

おぉぉ!!

とにかくゴールまでたどり着けたじゃないかぁ💦💦

と、ほとんど泣きそうになりながらグラウンドに足を踏み入れ、

向こう側のゴール地点が目に入ったその時

パーン、パーン!!

と、耳に響いた大きなピストルの音

 

制限時間7時間の終了を知らせる合図だったと気づいたのはいったいいつだったか・・・

 

一応、ゴールのラインまでは走ったものの

もう本当に動くこともままならず。

周りはすでに「レース終了」の雰囲気ありありで

(実際、終わってたわけだけど)

 

とにかく疲れ果てていた私に声をかけてくれ

肩を貸してくれ

文字通り「助けて」くれた人がいたことは今でも覚えているんだけど。

 

ペナン在住の中華系マレーシア人の「リッキー」とは

その後、数回手紙のやり取りをしましたが(33年前ゆえ連絡手段はお手紙…)

いつの間にか音信は途絶えてしまいました。

今だったらきっとLINE交換とかして、ついでにfacebookやTwitterで繋がったりもできたのかもしれませんけどね・・・

「ペナンのリッキーさん」だけじゃ、もう探しようもなく。

 

 *****

 

これが、自分の記憶の中にあるフルマラソン。

その後、特にここ10数年を思い返すと、

けっこうあちこちで走るイベントには参加していて・・・

そう。

とにかく周りの雰囲気にわ〜〜〜〜っと巻き込まれながらも

疲れよりも明らかに楽しさが勝るラン・イベントに、いったいいくつ参加してきたことか。

 

でも、どうも《フルマラソン》にはご縁がなく。

 

縁がなかったのか、避けてきたのかは定かではありませんが、

 

コロナ禍で外出自粛の中

誰にも迷惑かけない貴重な外出機会が近所のランニングだったので

そろそろ・・・

 

いい加減

そろそろ走ってみたら?

 

と、自分の内なる心に素直に従うことにしました。

 

たぶん

大丈夫なんじゃないかな。

よほどのアクシデントが起きなければ、今回は走りきれるじゃないかな。

制限時間は7時間じゃなくて6時間みたいだけど、

多分、大丈夫なんじゃないかな。

 

33年

22歳という若さゆえにボロボロになった自分に

55歳でリベンジ。

ゾロ目続きで縁起がよろしいようで。

 

 

 

※1989〜1991年:マレーシアの中等教育機関で日本語を教えていました

初めての(そして多分最後の)ヘアドネーションの話。

 

ヘアドネーション…髪の毛を切って、寄付。

 

最近ではずいぶん世の中にも浸透してきているようですが

私がそれを知って「やってみたい!」と思ったのは2016年ごろ。

その時の髪はちょうど肩にかかる程度の長さ。

ドネーションは30cmくらいからできるらしいけど、もっとも喜ばれるのは50cm…とどこかで聞いて、「じゃ、せっかくやるなら50cm目指すか!」

 

その気持ちを決定的にしたのが、次に住む国が決まった時。

なんとカナダ🇨🇦

東南アジアとか赤道近くで年中夏…なんてところだったら厳しそうだから、そこはスキップしてその次の国に期待しよう…と思っていたところの朗報。

カナダでもヘアドネーションはあるはず。

なんならカナダ生活が終わって帰国した時に、というのでもいいかも。

 

などと思っていたものの

事情によりカナダ生活は1年半ほどで終わることとなり、

その後、気温と湿度の高さから「夏の過ごしづらさ」では世界のトップに躍り出てしまうこの日本の関東圏で生活すること早4年。

 

そう、4年。

カナダから伸ばし始めた髪は5年以上頑張ってくれているのに

(っていうかほんと頑張って伸ばしてるつもりなのに)

未だに50cmには届かず。

 

この埼玉であの夏を4回も過ごしたんだから、もういいんじゃなかろうか。

次の誕生日(6月)で思い切って切っちゃって、今年の夏は軽い頭で過ごそう。

 

そう思っていたのに、誕生日まで待てず。

気持ち的に。

娘の大学進学が決まり、それと同時に家を出ることになり

この春からの生活は今までとはガラリと変わることがはっきりした時、

このタイミングで切ろう!と決めました。

 

そして、3月21日

ドラマもびっくりの逆転サヨナラで侍ジャパンが決勝進出を決めた試合を見届けたあと、美容院に向かいました。(全くいいタイミングだったわ・・・笑)

 

向かったのは、坂戸市の隣り鶴ヶ島市のHair-Baseさん。

埼玉生活が始まってからずっと「ヘアドネーションをしたい」ということを前提でお世話になっているこちらの美容院で、この5年…いや、6年近く粘ってもわずかに50cmに達しなかった髪をバッサリ切ってもらいました。

 

いや〜〜、さっぱり。

 

そして、また #じいじの忘れもの の髪ゴムをちょこっと持っていって。

若いご夫婦で経営しているこちらのHair-Baseは、小さなお子さん連れのお客様も多いようで美容院にキッズルームが併設されているほど。

なので、こういうのを喜んで持っていってくれるお客様もいるのでは・・・?と、時々提供させてもらっています。

 

さて、バッサリと切ってもらった髪は自宅に持ち帰り、心を込めて自分で『JHD&C』(ジャーダック)というNPO法人へ送ります。

www.jhdac.org

さらに、メッセージを添えてJHD&Cに写真を送ると、それがJHD&Cインスタ投稿写真として流れます。

https://www.instagram.com/jhdac_photo/

 

ここ見ると、すごいです・・・

めっちゃキレイな髪を惜しげもなくバッサリ切っている人の多いこと、多いこと!

そのために伸ばしてきた…と言っても

私のそれとはレベルが違う。

 

そしてもっとびっくりするのは男の子がけっこう多いということ。

 

さらに白髪混じりの高齢の方も。

 

そうかー

白髪が混ざっててもドネーションできるんだー。

 

でも、私はもう二度目はないかな。

 

6年近くがんばって一番長いところで48cm。

やっぱり年齢とともに伸びるスピードも落ちるようで、

この間に、娘は2回ドネーションしてましたからねー

 

でも、この髪がいつかどこかで誰かの役に立ってくれるのなら。

それはやっぱりとても嬉しいことです。

 

ショートになった私に、「楽になったでしょ〜。」と言ってくれる人多数。

はい。確かに、シャンプーは楽になりました。

でも、生え方にクセがあるせいで放っておくと見事にはねる右後頭部の髪を毎朝なだめるのが実はかなり面倒くさい・・・。

 

これもそのうち慣れるんだろうか・・・。

 

ふと気がつくとさらりと卒業… そう思うのは親ばかり? #N高

3月最後の日曜日、3月26日は娘が通ったN高卒業式でした。

 

「ネットの高校」という大きな看板を掲げてN高が開校したのは2016年。

VRのゴーグルを付けて入学式に出ている生徒たちの姿をネットで見た時は

日本でもここまで思い切った学校が登場するようになったのか〜・・・と全くの “外野”気分でそしてある意味“野次馬”に近い感覚で見ていたのですが、

まさかその学校に自分の子どもがお世話になるとは(笑)

 

娘がN高生としてこの3年間を過ごしたので

自分も3年間「N高生の母」をしていたはずなんだけど

 

そして、今日が3年間お世話になった学校とのお別れの日なんだけど、

 

こんなこと言っていいのかわからないけど

“実感”が・・・ない。

あまりにも、ない。

 

これが、卒業式の日の素直な気持ちでした。

 

 

まあ、やっぱり心のどこかに

卒業式

制服の生徒たち

体育館にみんなで並んで

卒業証書をもらって

教室で先生の「最後のお話」とか聞いちゃって

みんなで写真撮りあって

黒板に『バイバイ!また会おう!』とか書いちゃったりして

・・・

みたいなのが どうしてもあったりするようで

 

自宅で

学校からメールで送られてきているURL開いて

パソコン画面に映るリアル卒業式の配信映像を見ながらの「参加(出席)」って・・・。

 

でもみんなの「参加してます感」はありありで、盛大な花火とともに始まった卒業式の生中継画面には、右から左へ常に視聴者のコメントが流れていって。

 

これが今の時代の卒業式かぁ〜・・・

と思うと同時に

いやいや、facebookなんかを見る限り

『校門の前で写真』みたいな自分の記憶の中にあるあのタイプの卒業式もまだあっちこっちで行われているはず。

っていうか、数としてはそっちの方が多いよね?

 

こどもの卒業式に参列して、自分のその頃のことを思い出す

とか

そういう経験ができている人も多いんだろうと思いながら

そういうのがちょっとうらやましいと思う気持ちもあるけれど

 

でも

この3年間、自分のペースでしっかり勉強を続けてきた娘を

本当に偉いなぁ・・・と思う気持ちと

そんな彼女の高校生活の締めくくりの場に一緒に居られて良かった、と思う気持ちが自分の中にあったのは確かで・・・

 

そんな卒業式でした。

 

🎓🎓🎓

 この卒業式のようすはYoutubeなどでどなたでも見られるようになっています。

nnn.ed.jp

 

 

 

 卒業式当日、娘と私は正装(スーツ姿)でパソコンの前に座りました。

「自宅で卒業式」でも少しは気分が盛り上がるんじゃない?という思いと、

ちょうど一週間ほどあとに大学の入学式があるので、その練習も兼ねて…。

 

ま、多少の緊張感はあった、“かも” という程度でしたが(笑)。

 

Youtubeニコニコ生放送でも配信されていた卒業式は

メイン会場となっている新潟県のゆるきゃらマスコット『トッキッキ』が登場したり、

地元出身の大物歌手(!)が登場したりと

びっくりするくらい自由奔放な構成、演出になっていて

最後には映画のエンドロールよろしく全国の卒業生全員の名前が画面に流れ・・・(この名前の部分は未公開)

 

約2時間の生中継は終了。

 

高校の卒業式、終了。

 

これで、高校を卒業。

 

う〜〜〜〜ん

そういうものなのかー。

こういうのも「有り」、なんだよね?

 

※※※

 

 

この実感の湧かなさの理由は

娘の高校の卒業式が、娘と私の2人だけで完結している”という感覚のせいだったんだ…と気づいたのは、その数日後でした。

 

いや、家で2人でパソコンに向かっていたんだから「(ふたり)ぼっち感」があって当然だけど、

あの日、同じ瞬間に卒業を迎えた何千という生徒とその親たちの中に

知り合いはみごとに一人もいなかった、ということに気づいた時の衝撃は

結構大きかったかも。

 

高校になるとそんなもん 〜子どもの友だち関係までは知らない親も多い〜 かもしれないけど、

 

その昔、子どもも親も先生も、みんなで卒業を祝い、喜び、泣いたり笑ったりした記憶がふっと蘇り、

 

こういう「卒業」もあるんだ・・・

でも、それにしてもあっさり、というか なんというか・・・。

 

 

 などと感傷に浸る間もなく、今度は娘の引越し準備。

4月からの新生活では、高校生活とは違って「毎日、人に会う生活」になるはずの娘。

色々刺激を受けて楽しい学生生活を送ってほしいと思います。

 

 そして、娘が家を出るということで4月は私にとってもある意味新生活のスタート。

私自身も、今までよりは「人に会う生活」をしていきたいな、と思う桜の季節です。

 

 

 

東京マラソンの日に『ホワイトリボンラン』

東京マラソンがにぎやかに、そして華やかに開催された3月5日(日)、

私は埼玉県内の「ときがわ町」というところにいました。

 

オンラインではない “リアル” のランイベントも少しずつ開催されるようになってきて、去年の秋には地元のイベント(坂戸チャリティマラソン・川越ハーフマラソン)にも参加したので、今年も近場で参加しやすそうなイベントを・・・と探していた時に見つけたのがホワイトリボンラン2023

JOICFP(ジョイセフ)という国際協力NGOが、3月8日の国際女性デーと連動させて2016年から発足させた「チャリティアクション」です。

👆

と、これはあとになって知ったことで、

エントリーした時は、その趣旨や団体の活動内容などはざっくりとしか知らず、それよりも数あるリアルランイベントの中でも、日程、開催場所、スタート時間、そしてエントリー料・・・などを見て参加しやすそうだったから、という理由でのチョイスだったのです。

が、

 

その3月5日が東京マラソン開催日とかぶっていることに気づいたのは2月ももう終わろうかという頃。

自分で申し込んでおきながら、「あちゃぁ〜〜〜・・・💦」

 

やっぱりがっつり見たい(応援したい)じゃん、東京マラソン

という気持ちがあるくせに、自分がエントリーしてるわけじゃないから日程までしっかり頭に入ってなかった・・・

 

でも、だからって

せっかくエントリーしたイベントを不参加に… ってのは、なんとなく後ろめたい。

なので

たくさんの人が楽しく東京を走るのなら

今年は、私も近場のランイベントで楽しく走る、という日にしよう、と

ちょうど東京マラソンがスタートするころに、家から車で30分ほど北にある「ときがわ町」へ向かいました。

 

このホワイトリボンランは実はかなり大きなランイベントで、今日3月8日の国際女性デーを前に、3月最初の週末、4日・5日に全国各地のいろんな場所で、いろんな団体が主催して行われていたようです。

また、3月は『ホワイトリボン月間』ということで、3/1〜3/31の1ヶ月の間、自分のペースで自由に走れる「バーチャルラン」でも参加ができ、

さらに、へぇ〜〜っ…と思ったのが、

『ホワイトリボンラン』開催中(3/1〜3/31 )、#ホワイトリボンラン2023 のハッシュタグを付けてInstagramに投稿すると、1投稿につき100円がホワイトリボンパートナー企業からジョイセフに寄付される仕組み。

1投稿100円

これだけで寄付ができるというのは、かなりハードル低くてやりやすいなぁ・・・と。

 

また、私たちのエントリー料も全額寄付され、世界の女性の命/健康を守るための活動に役立てられるそうです。

 

私が参加した「ときがわ町」でのランイベントは、ときがわ町を拠点に活動しているにじの絲というNPO法人が主催していましたが、

私のようにただ「近場だから」・・・と、ふらっと参加した人はなんだか少数派だったようで

例えば、市内の中学校などでのしっかりとした性教育の必要性を訴えてはいるものの、なかなか組織全体からの理解を得るのが難しい…、という近隣の市の保健師さん

大学のサークル活動などで、もっと自由に性の話ができるような環境づくりを目指して

いる学生さんなど、普段からジョイセフ『にじの絲』さんの活動をフォローしているような人が、同じ、あるいは似た活動をしている人とのつながりを求めて参加していました。

 

ああ、みんなこうやって自分の活動範囲・幅を広げていくんだなー・・・

 

イベントコースは「ときがわ町」を流れる「都幾川(ときがわ)」の散策コースの一部。

ぐるっと一周2.4kmのスモールチェンジコース。

2.4km・・・ちょっと短い感じがしたのでテコテコともう一周。

近くの直売所(道の駅みたいなところ)でそれぞれお昼を買って、日向ぼっこしながらみんなでランチ。スタッフさんが差し入れてくれた焼き鳥が嬉しかった。

 

お土産にはミモザの花。

3月8日って「ミモザの日」でもあるそうですね。

今年はSNS上でもミモザのかわいい黄色い花がたくさんアップされていました。

 

お天気にも恵まれて気持ちの良いイベントとなり、

もし来年も開催されるなら、「お久しぶりー」と言いながら顔を合わせる人がいるかも〜、と思うとなんだか嬉しいので参加したいんだけど、

 

・・・でも来年は東京マラソンとかぶらない日にしてくれたら嬉しい…

ん〜〜 でも、3月8日の国際女性デーに絡めたイベントだからなぁ。。。

 

などと考えつつ、久々のブログを書いた3月8日国際女性デーでした。

 

新年最初に観た映画『13人の命』(鎌倉殿ではない)

新しい年になって早一週間。

去年の最後に書いたブログの続きを書こうと思ったけど、1月1日の夜に観た映画があまりにも衝撃的だったのでまずそちらから。

 

1月1日は日曜日だったので「映画鑑賞Night」

毎週ではないけれど(でもほぼ毎週だな…)週末には『Prime Videoウォッチパーティ』で夫とチャットしながら6,000kmの距離など感じず映画を楽しんでいるのですが、この日はまさに2023年スタートの日。

【新年のスタートにふさわしい映画が観たい】ということでチョイスされたのが

『13人の命』

理由:①結末が分かっているので安心して観られる。

②実話に基づいた話で監督があのロン・ハワード!(『バックドラフト』『アポロ13』『ビューティフル・マインド』『ダ・ヴィンチ・コード』…)

 

タイの洞窟に閉じ込められたサッカーチームの少年たちの話。

確かに記憶にありました。

確か、結局全員無事救出されたはず。

詳細は覚えてないけど、つまり遭難した子どもたちが無事助け出されるという、ハラハラドキドキはありそうだけど最後は「やったぁ!よかった、よかった」と幸せな気持ちになり、そして「困難があってもがんばろう!」という前向きな気持ちになれるはず。

うん。新年のスタートにふさわしいじゃん。

 

youtu.be

 

そう思ったんですけどねー。

いや、想像の遥か上を行く展開に、途中マジで怖くてたまらなくなりました。

 

最後が分かっているのに

結局助け出されることが分かっているのに

でも、そこにたどり着くまでの過程ってこんなにすごかったんですか??

これって本当に実話??

と、何度思ったことか。

 

その救出方法についてはすでに世の中には知られていたようですが、

私は全く記憶になかったのでもうビビりまくり。

 

 

・・実はもう10年近くご無沙汰していますが、ダイビングの免許を持っていて、

一時期はいろいろなところを潜っていました。

なので、海の美しさとかダイビングの楽しさ、素晴らしさ、

と同時にヒヤッとすることや「やばっ💦」と思うことも何度か体験しているので

もうあの状況の難しさ・怖さが胸にざくざく刺さってくるし、途中、何度か息苦しくもなりまして。

 

新年早々、なぜこんなに心臓に悪いものを観てしまったのだろう・・・

 

そういえば、2022年の最後に映画館のスクリーンで観た映画が

『AVATARーWay of waterー』だったなぁ・・・

あの映像美にすっかり魅せられて「あぁ、またダイビングしたい〜〜🤿💖」と思ったばかりだったのに。

 

そんなことを考えながら、

 

2023年最初の映画『13人の命』を観て

どんなに辛いことがあっても成功・解放を信じて頑張り抜けば救いの手が届くのだ

というメッセージよりも

最終的に救われるとしても、そのためには想像を超える何かを乗り越えないとならないこともあるんだから覚悟せよ!

というちょっと身の引き締まるようなメッセージの方を強く感じてしまったのでした。

 

気楽に観られる内容ではないですが、

まだ観ていない方、お時間ありましたらぜひ!

ロン・ハワード監督のこの作品(2022年 上映時間149分)は日本では劇場公開されておらず現在はAmazon Prime Videoでの独占配信となっているようですが、

Netflixでも遭難事故に遭った本人たちのインタビューを中心に作られた

『奇跡の13人:僕らのタイ洞窟生還期』という1時間43分のドキュメンタリー映像と『ケイブ・レスキュー:タイ洞窟決死の救出』というドラマシリーズ(6エピソード)があるようです。

 

では、2023年も素敵な映画ライフ

 

 

 

 

2022年もあとわずか…なので総括<その2> イマドキの「英検」と,激レア「中卒認定試験」

「英検」は日本英語検定協会が実施の「実用英語技能検定」というやつで、5級〜1級までのレベルがあって・・・『受験経験あり』という人も多いかと思いますが。

 

では「中卒認定試験」は?

ざっくり言うと

受験できる人👉 (日本の)中学校を卒業していない人

これに合格したら👉(日本の)高校の受験資格が得られる!

という試験なんですが、これってかなりレアな試験かと・・・。

だって日本の中学校ってよっぽどのことがない限り卒業できるでしょう?

出席日数が足りてるとか足りてないとか、高校や大学みたいにシビアなことは全くなくて、学校に籍さえ置かせてもらっていればしかるべき時期が来たら卒業証書がもらえる…というのが現状だと思います。

 

 でも、ごく稀に、気がついたら(…というのは大げさだけど💦)「あ、うちの子、中学校の卒業証書もらってない。」ということも実際あるわけで。

 例えば、これまでもホームスクーリングと称していわゆる「学校」には通っていなかったけど、そのまま父親の転勤に伴って海外に行った場合(我が家のことですが)。

年齢的には15歳を過ぎたので、そろそろ通信制の高校で学ぶことも考えようかと、進学希望のN高に、まず「海外からの受験も可能か」…などを問い合わせてみたところ。 

そもそも中学を卒業していない場合は受験資格がないと。

そうか。

天下のN高でも(笑)やっぱり中卒の資格がないと受験できないんだー。

 

となると選択肢は1つ。

「中学卒業程度等認定試験」つまり「中卒認定試験」を受けて合格せねば。

 

ということで、

今年(令和4年度)の中卒認定試験実施日である10月20日に合わせて、夫と息子はインドから一時帰国したのでした。

 

さて、周りを見ても受験経験者など見当たらない「中卒認定試験」

 

受験科目は?

受験地は?

受験者数ってどのくらい?

その難易度は?

合格率は?

と分からないことだらけでしたが、実際に受験者保護者としてこの試験に関わって分かったこと、感じたことなどを以下に簡単にまとめます。

 

 今年度(令和4年度)の実施内容についてはこちらの文科省のページからも具体的な情報が得られますので、ご興味のある方はどうぞ。

www.mext.go.jp

 

 まず、嬉しかったのは

願書提出などの手続きがそれほど煩雑ではなかったこと。

 我が家の場合、生計維持者が海外にいるとか住民票が日本にないとかで色々な手続きがどうも面倒くさくなりがち…だけど、今回は願書に貼る写真もインドの自宅で撮ったデータを使って用意できたし(背景がどうとかサイズがどうとかの細かすぎる指定は無し)、「受験案内」に書かれているもの以外に追加で書類を用意する必要もなく、願書提出期限の10日ほど前まで諸事情で(・・・って、コロナですが)完全隔離状態にあったにも関わらず、無事期限内に願書を提出(郵送)することができたのは本当にありがたかったです・・・

 

●受験科目:主要5教科

でも「英語」に関しては一定のレベルに達している受験者は免除あり。例えば「実用英語技能検定(いわゆる英検)で3級以上」

また、外国籍などの受験者の場合、漢字にふりがなが付いた問題冊子での受験が可能という特別措置もあり。

 

●受験地:全国各地

各都道府県に1箇所ずつ試験会場が設けられているようで、埼玉県の場合は県庁近くの「県民健康センター」でした。

 

●受験者数:決して多くはない。

今年度の受験者数は公式に発表されていないようですが、昨年度は95人

全国で95人

試験会場は全国47都道府県に設けられているけれど、受験者ゼロのところもありそう。ちなみに今年度の埼玉県の受験者は、確か4人…と言っていたはず(受験者本人の談)。

小さな会議室(?)みたいなところに机並べて、そこで4人。 

テレビのニュースで見るような大教室に受験者がだーーーっっと並んでいるようなところで受けるのかも?などと思っていた我が家の受験者は、おかげで全く緊張もせず終始リラックスして受けられたそうです。

 

●難易度は?:中学校卒業レベル・・・?

と言われてもよく分からない、というのが正直なところ。

実際、試験問題も公開されているので、それを見るのが一番かと。

そういえば、今年度の国語の試験には碧野圭の『凛として弓を引く』の一部が使われていました。(と言ってもそれで難易度が分かるわけでもありませんが)

 

●合格率は?

こちらも上記のホームページを見ていけば分かりますが、昨年度の場合は受験者数95人のうち中卒認定試験合格者数(全ての科目に合格し、高等学校入学資格を取得したものをいう。)は80人と書かれています。

また文科省のホームページにはこんなグラフもありました。(データは古いけど)

https://bit.ly/3VAL6zS

 

こんな感じで、合格するのはそれほど難しくはなさそうですが

合否判定としては5教科全部が合格基準を超えていれば「中学卒業程度の学力あり」と認定されて【合格証書】(認定証書)がもらえ、同時に高校の受験資格が得られるという流れになるようです。

(文科省のホームページには『高校入学資格が取得できる』とあるけど、入学のために必要な“受験”の資格が得られる、という方が感覚としてぴったり来るような・・・)

 

 ということで、10:00 開始で 国語・社会・数学・理科・外国語(英語)」の5教科を一日で受験し、終了したのは15:40。

 昼休みは1時間20分とたっぷりあったけど、あまり落ち着いては食べられなかったようで、終了後に近くのファミレスへ。

 ふだんはほとんど外には出ない15歳少年にとっては結構「大冒険」な日だったと思います。

 約1ヶ月後、無事『認定証書』が届き、晴れて「中学卒業程度の学力あり」と認められたわけですが

 

とりあえずまたインドに戻り、毎日仕事で忙しい父親と今はまた悠々自適な生活をしており・・・

 

年が明けたらこの先のことを少しずつ考えていかないとね、という感じの2022年最終日。

 

県内の受験者4人という激レア試験のことを書いていたらすっかり長くなったので「英検」の話は次回にしよう…(ってことは来年か?)

 

 最近「英検」って受けた人いますか?

 オンライン受験・・・ってのがあるんですよね。

 画期的だけど・・・思わぬ落とし穴が💦

 今までになく動揺した受験体験。

 年明けになりそうだけど。

 

では、来たる2023年もそれなりにチャレンジと刺激のある年になりますように。

🎍みなさまよいお年をお迎えください。🎍