やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

はじまりは《ペナンマラソン》 〜33年ぶりのリベンジなるか?〜

少し前にこれが届きました。

今度の日曜日のマラソン大会のパンフレット。

 

これを書いているのは、4月9日。

このかすみがうらマラソン2023のちょうど一週間前。

 

今日は統一地方選挙の日でしたけどね。

投票に行こうと家を出た時は、

「あ、(一週間後のこの時間は)少し前にスタートしてるんだ。」

 

昼ごはん食べながら

「ん〜〜、今ごろは30km付近かも。」

 

そんな感じで過ごした4月9日。

 

 *****

 

42.195kmのフルマラソン。

 

自分にとっては、正確には「未知の距離」ではないんだけど

 

“制限時間内にフルマラソン完走”

 

これができたら

きっと新しい景色が見えるに違いない。

 

そんな話。

 

《ペナンマラソン》

正式には《ペナン・ブリッジ国際マラソン》というのがあります。

マレーシアのペナン島にかかるとっても長い橋(13.5kmだそうです)を走るマラソン大会で1985年からもう40年近くも続いている大会です。

 

だから、私がそれに参加したのは第6回大会だったのでしょう。

当時、ペナンからは600km以上離れたマレー半島南端のジョホール・バルという街に住んでいた私が、インターネットなど皆無の時代にどうやってその大会のことを知り、申込み、参加したのか、今となっては全く覚えていないのですが、

 

とにかく、ここで生活する2年間(※)でなにか忘れられない思い出を作りたい、という気持ちだけは絶対譲れないものとして自分の中にあったのは覚えています。

 

 

でも、それがなぜフルマラソンだったのか… は、不明。

 

もう若気の至りとしか言いようがないんだけど

33年前の私は、練習する環境も一緒に走る仲間もいないのに、気がついたらエントリーしており(←経過を覚えていないだけ)

そして、日帰りできるような場所ではなかったので、

校長室に行き、「ペナンマラソンに出たいので」という理由で校長に直々に休暇の申請もして・・・

 

そんなふうに気合い満々で出かけて行ったのですが、

 

まあ、世の中そんなに甘くない。

 

《ペナンマラソン》への参加を職場で数名の同僚に表明した時、

「とにかくゆっくりでも長い時間走る練習を。」と

唯一、身近なところにいたフルマラソン経験者Ms.Kongからアドバイスをもらえたものの

 

“長い時間” ってどのくらい・・・? 1時間? 2時間?

というレベルだったので

たぶん「初心者がフルマラソンを完走できるようになるための練習」なんて全くできていなかったはず。

 

で、いい訳するつもりはないけど、

マレーシアは暑い。

高温多湿の常夏の国で、しかもイスラム教の国で若い女性が…

いや、今思い出してもこれは厳しい・・・(笑)

 

 

それでも、

もうなるようになれ!

という気持ちで夜行列車でペナンへ。

1990年の・・・何月だったかなあ?

(常夏の国って、いつでも「夏」なので時期的な記憶が残りにくい)

 

本当に記憶がすでに曖昧だけど

とにかくまだ真っ暗なうちにスタートしたのは覚えていて。

 

レース途中で夜が明けて、朝日を浴びながら走ることができる…というのがこのレースの売りのひとつらしいけど、全く記憶なし。

 

やっぱり、いくら若くてもそこそこの練習しておかないとフルマラソンを走り切るってのは普通、無理でしょう・・・

 

と、今の私なら分かるんですけどね。

 

もう、ほんとしつこいけど若気の至りです。

 

どんなコースを走るのか、という事前チェックもしていなかった。

 

ただただ、周りの人に追い立てられるように走っていって

(たぶん最初からかなりのオーバーペースになっていたことであろう・・・)

 

どんなタイミングでペナン・ブリッジを渡ったのかも覚えておらず。

 

途中、もうほんとに足が動かなくなった時に誰か(多分スタッフ)  が脇道でエアースプレーをシューーーーーッッ!!‼とかけてくれて、

その時、一瞬は足が軽くなって、これなら行けるかも! と思ったけど

でも、そんなの気のせいで、すぐにもうガクガクになって。

 

次に覚えているのが、

目の前に、やっとゴールの競技場が見えてきた時。

おぉぉ!!

とにかくゴールまでたどり着けたじゃないかぁ💦💦

と、ほとんど泣きそうになりながらグラウンドに足を踏み入れ、

向こう側のゴール地点が目に入ったその時

パーン、パーン!!

と、耳に響いた大きなピストルの音

 

制限時間7時間の終了を知らせる合図だったと気づいたのはいったいいつだったか・・・

 

一応、ゴールのラインまでは走ったものの

もう本当に動くこともままならず。

周りはすでに「レース終了」の雰囲気ありありで

(実際、終わってたわけだけど)

 

とにかく疲れ果てていた私に声をかけてくれ

肩を貸してくれ

文字通り「助けて」くれた人がいたことは今でも覚えているんだけど。

 

ペナン在住の中華系マレーシア人の「リッキー」とは

その後、数回手紙のやり取りをしましたが(33年前ゆえ連絡手段はお手紙…)

いつの間にか音信は途絶えてしまいました。

今だったらきっとLINE交換とかして、ついでにfacebookやTwitterで繋がったりもできたのかもしれませんけどね・・・

「ペナンのリッキーさん」だけじゃ、もう探しようもなく。

 

 *****

 

これが、自分の記憶の中にあるフルマラソン。

その後、特にここ10数年を思い返すと、

けっこうあちこちで走るイベントには参加していて・・・

そう。

とにかく周りの雰囲気にわ〜〜〜〜っと巻き込まれながらも

疲れよりも明らかに楽しさが勝るラン・イベントに、いったいいくつ参加してきたことか。

 

でも、どうも《フルマラソン》にはご縁がなく。

 

縁がなかったのか、避けてきたのかは定かではありませんが、

 

コロナ禍で外出自粛の中

誰にも迷惑かけない貴重な外出機会が近所のランニングだったので

そろそろ・・・

 

いい加減

そろそろ走ってみたら?

 

と、自分の内なる心に素直に従うことにしました。

 

たぶん

大丈夫なんじゃないかな。

よほどのアクシデントが起きなければ、今回は走りきれるじゃないかな。

制限時間は7時間じゃなくて6時間みたいだけど、

多分、大丈夫なんじゃないかな。

 

33年

22歳という若さゆえにボロボロになった自分に

55歳でリベンジ。

ゾロ目続きで縁起がよろしいようで。

 

 

 

※1989〜1991年:マレーシアの中等教育機関で日本語を教えていました