やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

世紀の断捨離の果てに・・・・

7月8日(月) 
 気がついたら日付が変わっていて、でもハノイから運んだまま開かずの箱となっていた中に潜んでいた多くの<断捨離対象物>との格闘 で、全く寝る余裕がありませんでした。

   
        

どんなに思い出が詰まっていようと・・・

自分の周りの荷物を1/4に減らすということは、こういうことなんだ・・・・・・と、改めて思います。



壁一面に貼られていた自分の絵をはがす草太。



<荷出しが「午前中から」に>
 この日の早朝、カイロでは大きな衝突がありました。夜明けの礼拝中だったムルシィ支持派に向かって軍が発砲し50人以上の死者が出たというのです。これに関してはムルシィ支持派の方から先に発砲した、との証言もあるそうですが、いずれにしてもそれが原因でカイロ市内のいたるところで道路が封鎖され、どこに移動するにも身動きがとれない状態になってしまったそうです。

 そして運送屋さんからの電話・・・・
「あちこちで道が封鎖されて身動きがとれない状態なので、早めに荷物を引き取りに行ってもいいか」

「いいか」と言われたら、もちろん「だめ」としか言いようのない状態でした。

「箱詰めはスタッフが手伝ってくれるって」と言われても、どれを箱に詰めるのか・・・が、まだわかんないんだよーーー!!!という状態。


 ですが、もう何が何だか分からない状況になっていたので、とにかく運送会社の人たちに来てもらうことにしました。もとい、運送会社さんの申し出を受け入れました。

 5〜6人のスタッフが来て、てきぱきと働いてくれました。
 
 彼らにどういう指示を出しながら荷物をまとめていったのか・・・正直よく覚えていません。


 が、見る間に箱が増えていきました。

 そんな中、夫の勤務先の職員さんから電話が。
 
 


<飛行機が早朝便に変更>

 なぜそんな必要が???
 と、一瞬ボー然としてしまいました。
 明日の夜には飛行機に乗っている、という事実すらまだ信じられない、という思いで必死に荷造りをしているのに・・・・

 「はい、はい。じゃ、フライトが早まったということですね。それは決定ですか。はい。6時半。はい、3時・・・朝の3時ですね。」

 明日の朝、6時半のエア・フランスに変更になったので、朝3:15に職場の公用車が迎えに来てくれる

 なんでそこまで急がなきゃならない??
  まだ帰国の予定すら無く、普通に生活している人も大勢いるのに!!!!




<そしてまた人が来る>
 荷造りも佳境に入った頃、書籍以外の色々なものを引き取ってもらうべく、近所の友人や協力隊員の皆さんに来てもらいました。
 この春休みに日本から買ってきて、帰国までの数ヶ月間大切に食べようと思っていた食料などもほとんどすべて持って行ってもらいました。冷凍庫に入っている肉類も。

 子ども用のおもちゃもそれこそ山のようにあったのですが、このような状況下では小さいお子さんを持つママ友に「今日中に引き取りに来て」などとはとても言えず。でも近所に住む車を持っている友人がご主人と一緒に来てくれて、この大物のジャングルジムなどは持って行ってくれました。残ったものはすべてお手伝いさん行き。


 みどりの電子ピアノも持っていけない! という事実に気づいて、夫がすぐに写真を撮ってfacebookで呼びかけてくれたら、午後には音楽好きのエジプト人青年が取りに来てくれました。

 カイロで一生懸命練習した電子ピアノ。私の友人が譲ってくれた思い出のあるピアノでもあります。
 大切に使ってもらえたらな、と思います。

 みどりはこの先もピアノを続ける意志があるようなので、次の所ではレンタル・ピアノなどを利用しようと考え中。
 


<とりあえず、終わった>
 午後2時前くらいだったでしょうか?(ちょっと記憶が・・・・^^;)
 
 皆さん、ありがとうございました・・・・・

 さて、今度は飛行機に乗るときの荷物をまとめなければ・・・


 子どもたちは、確かほぼいつもと同じ9時前にはベッドに入ったと思います。
 が、

 ダンボールに詰めて持って行ってもらった物、友人・知人やお手伝いさんに引き取ってもらった物で家の中はだいぶスッキリしたはずなのに・・・
 まだ、色々と残っているものがあって、もうあとはいいや、という感じで置いていくにしてもちょっと・・・という状況だったのでなんだかんだと片付けていたら0時を回ってしまい・・・

 飛行機に乗ったあとは日本でしばらく生活するわけだからそっちの方の荷物も・・・とやっているうちに空港へ行く時間が近づいてきてしまったのでした。

 
 たぶんこれが人生初の「二晩連続徹夜」





7月9日(火) 
 夫の職場の公用車が迎えに来てくれたのが3:15am。
 まだ日も出ておらず。

 真っ暗な中、大きなスーツケースをゴロゴロと押して、家族4人でアパートを出て行く私たち。

 こりゃ、どう見ても「夜逃げ」の構図。


 前回の2011年の革命の時にアパートの入口に取り付けられた鉄格子の上に、エジプトの国旗が。

 いつからここに飾ってあったんだろう?
 全然気づかなかった。

 守衛さんにお願いして記念撮影。


「あの15階の日本人家族、昨夜、逃げるように帰っていったぞ」

朝になったらそんなふうに、いつもこの辺にたむろしている人たちに噂されるんだろうなー・・・・などと思いながら、名残惜しむ景色も見えない暗闇の中、ひっそりとアパートをあとにしたのでした。

 まじー・・・?これがほんとにカイロとのお別れ??

 そんなふうにも思いながら。 




2013年7月8日 これが我が家から最後に見たピラミッド