やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

ワクチン副反応記録?② 

去年の9月に1回目のワクチン接種をして

その時の「それほど深刻じゃないけど結構分かりやすい副反応」のことは

ワクチン副反応記録① に書きましたが、

その4週間後に2回めの接種をしたのにワクチン副反応記録②がスルーされていたのは、書き残すほどの副反応がなかった… 

ということで。

 

じゃ、昨日接種した3回目のあとは、それなりに“書き残しておいてもいい程度”の副反応があったのか? と言うと

まあ、やっぱり大したことはなかった。

注射をした左腕がちょいと赤く腫れていて、

で、これは前回も前々回もなかったんだけど、しっかり腕が重い

「腕が上がらない」とか「シャンプーができない」とかそこまでじゃないけど、

ラジオ体操第一の最初の「背伸びの運動」はつらい。

そんな感じ。

 

でもそれ以外は特に変化なく

“ご褒美アイス” のつもりで買っておいたハーゲンダッツが、

ただの“贅沢アイス” になっちゃた〜と思いながらしっかり味わって。

 

 

万が一、具合が悪くなった時のために…と、

晩ごはんはフライパンに入れて水を加えて炒めればハッシュドビーフの出来上がり!という超簡単なものを予定していたんだけど、

なんと、夕方、玄関先にこの子が転がっていて。

毎年、春になると心優しい方が年に数回、ごんぎつねよろしく採れたてのタケノコを玄関先に置いていってくれるのですが、今日が今年最初の日となり・・・

よく見ると、これ今、掘ってきたんじゃない?と思えるほど瑞々しいので

いきなりメニュー変更で煮物と天ぷらを作ってしまえるくらい、体調は問題なく、

初ファイザーのワクチンも心配するほどのこともなかったな、と思ったのですが。

 

でもねー、世の中の

『ワクチンを打ちましょう』

『ワクチンの安全性は証明されています』

という流れに乗って、市の方もがんばって煩雑な事務作業をしながら私たち市民に3回目の接種券やらそれに関する説明書などを郵送してくれたのでしょうが…

 

市の集団接種(1回目、2回目)は『アストラゼネカ』のみだったのに

それに対する記載がみごとにゼロ、というのはどうなんですかね?

 

【3回目のワクチンはファイザー社か武田/モデルナ社】

【1,2回目がファイザーで3回目がモデルナでも抗体は十分上昇】

などと色々書かれてはいるものの、

“安全性” やら “注意点” やらの中に『アストラゼネカ』の『ア』の字もない

 

集団接種は大きな会場で結構な回数をやっていたから、相当の数の市民が1回目も2回めもアストラゼネカ だと思うんですけど。

 

唯一、書かれていた『アストラゼネカ』の文字は自分の接種記録欄。

 

でもそれって

 

なんだかな〜・・・

 

と思ってしまいました。

 

とにかくみんな早く打っちゃって〜! って

雰囲気が漂っているような・・・そんな感じが拭えず。

個人の感想ですが。

 

別にワクチン反対派ってわけではないし、

副反応に苦しめられたわけでもないんですが

なんとなくもやもやしたので書いてみました。

 

それにしても、なんだか遠くの方(?)からは「4回目」がどーのこーの

というのも聞こえてきているし・・・

 

いつまで続くんですかねえ?

 

 

*******おまけ*********

副反応は「上腕の痛み」だけだと思っていたら

夜、お風呂に入る前になんとなく気になって熱を測ってみたら38℃あってびっくり。

「もしかしたら37℃くらい(⬅私には微熱)あるかも?」くらいの感覚だったので。

でも、風邪などの発熱じゃないからだるさがほとんどなくて、ちょっと不思議な感覚でした。

 

 

2台のピアノでオーケストラを聴く。

2022年最初のブログ。

もうその12分の1である1月も終わってしまったけど。

 

1月最後の日曜日、久しぶりに電車に乗って所沢市民文化センターまで行ってきました。

最近すっかり「電車に乗る」という行為が非日常的になってきてしまい、去年1年間に乗った時のことを振り返ると2回に1回はPASMOをカバンに入れ忘れ…いちいち券売機で乗車券購入というなんとも悲しい“余計な作業”をしていたのですが、この日は大丈夫。

幸先良い一年のスタートでした(笑)

 

 

この日、所沢市民文化センター ミューズの大ホールで行われたのはこちら。

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世界的なピアニスト末永匡(すえながただし梅田智也(うめだともや)両氏による2台ピアノの第9演奏コンサート。

 

よく知っている曲(ベートーベンの交響曲第9番)を、カイロ滞在中にその音色を聞いたことのある末永さんが演奏、しかも会場のアークホールはとっても充実した素晴らしいホールのようで・・・なのになぜ前売りで1500円?

www.muse-tokorozawa.or.jp

という驚きのコンサートだったのですが、

 

でも本当の「驚き」はその演奏そのものでした。

 

会場の座席に着いてパンフレットを見るまで実はよく分かっていなかったのですが、

ベートーベンの孫弟子にあたるハンガリーの作曲家フランツ・リストは、オーケストラで演奏するために作られたベートーベンの曲をピアノだけで演奏する形に編曲、というすごいことをしていたそうで、その中の「第9のピアノ版」を今日、お二人がフルバージョンで演奏する という、そういうコンサートで。

 

って、その情報は全部ちゃんとポスターにも書かれていたんだけど、

久しぶりのお出かけ(コンサート)ってことで満足していたのか、あまり詳細までチェックしておらず。

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【全席自由席だったので、弾いている姿が見たいと2階のサイドの席を目指したら、なにを間違ったか3階まで行ってしまい…。でもさすがに3階まで来ると周りにはほとんど人はおらず“密回避”にもなるしいいか、とそのままそこで演奏を聞くことに】

 

末永さん、梅田さんがそれぞれソロで1曲ずつ演奏してから、いよいよ2台ピアノでの交響曲第9番。

 

とにかくびっくりしたのは

目の前にあるのは大きなグランドピアノ2台だけなのに

ふとした瞬間に、チェロ?コントラバス? の音色が聞こえ…

 

ぐわ〜〜〜っと盛り上がったところでは

ものすごい迫力でバイオリンやら管楽器やらが一斉になりだしたかのような音の厚みと深み、そして重さ

演奏中に「ピアノってすごい・・・」と何度思ったことか。

 

ピアノ以外の楽器で「2つ一緒に演奏したら他の楽器の音まで聞こえてくる」っていうの、あるかなぁ〜

なんてことも考えたり。

 

帰宅後、このコンサートの情報をくれた友人にお礼のLINEをして感動を伝えたら、彼女が「スペクタクルな時間だった」と言っていて、まさに!と思いました。

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【コンサート終了後、2階席まで下りていって撮った1枚。この場所で見ていたらいったいどんな迫力だったんだろう・・・】

 

アンコールの梅田さんによるベートーベンのピアノソナタ〈悲愴〉(ビリー・ジョエルのThis Nightの曲)も素晴らしかったです。

 

 

2022年の最初の月はあっという間に終わってしまったけれど、

今年は、月に一度はこういう芸術的なものに触れる機会を持つようにしよう…と、こっそり心に誓ってます。

 

ついでに言うと、

《月に一度の心と体のメンテナンス》も続けていこう…そして

《月間100kmラン》も。

あとは《じいじの忘れもの》のプロモーションももうちょっと頑張りたい…

 

2022年、残りの11ヶ月があんまり速く過ぎ去ってしまいませんように・・・

 

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【西武新宿線 航空公園駅から所沢市民文化センター へ向かう途中にあったマンホール】

 

 

 

 

 

ワクチン副反応記録①

 コロナのワクチン(アストラゼネカ)を接種してからちょうど一週間が過ぎたので、まとめておきます。自分の副反応あれこれ(・・・ってほどでもなかったけど)

 

「2回めの接種を終えた人の割合が全人口の5割を超えた」というニュースを聞いたあとでの接種だったので、私の友人知人の多くはすでにそれなりの「経験談」があり、

 

腕が重くてシャンプーができなくなるかもしれないから、接種日は早めに髪を洗っておいたほうがいいとか

熱が出たときのためにアイスやウィダー in ゼリーなんかを買っておいたほうがいいとか

夕飯の支度が出来なかった場合に備えて手抜き食材とかインスタント物も揃えていたほうがいいとか

この辺のたくさんの事前準備情報のおかげで比較的冷静に「その日」を迎えることが出来ました。

 

 更に

 体のだるさも頭痛も全く無いのにただ熱だけ出て (ドラゴンボールの)スーパーサイヤ人みたいに、身体の内側が燃えて力がみなぎってる感じ で、もう少し修行をすれば〈かめかめ波〉が出せるんじゃないか・・・という不思議体験をしたNさんの話なんかも聞いてしまったので(facebookの投稿で)なんだかちょっとワクワク…というか、妙な高揚感もあったのは確か。

 

 さて、9月16日(木)午後

市内で唯一の「集団接種会場」である「入西(にっさい)地域交流センター」へ。

家から車で15分弱。

13:45 の予約時間よりも少し早めに到着。

受け付けもまぁまぁスムーズで、テレビでよく見たような小さく区切られたスペース(ブース)に入る⇒完全武装した(感染対策スタイルの)お医者さんがいて簡単な問診⇒次のブースで看護師さんによる接種(びっくりするほど痛くなかった)⇒次の係員さんのところで接種後の注意事項と次回接種の日時が書かれたファイルを手渡され⇒待機スペースに並べられた椅子で15分待機。

 

14:10 には帰路に着いていました。

 

すぐ近くのスーパーで、万が一に備えてのあれこれを・・・。

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 普段は買ったこともない「レモン牛乳味」のアイスとか、なぜか普段は気にもしない“糖質”低めのビスケットなんかを選んでいるあたり、いつもとは違うテンションで買い物してる感が・・・

 

 そして、買い物を終えて家に向かっている途中、信号待ちで急に

「あ!みかんの缶詰(買うの忘れた)!!」と思い出すあたり、子ども時代の“お約束” ってオトナになっても染み付いてるものなんですねー(なぜか熱が出たときはいつもみかんの缶詰を食べていた記憶が・・・)

 

 

 さて、副反応

 

当日は

・腕は全く痛くない

・だるくもない

・風呂掃除も晩ごはんの支度も普通にできた

・でもお風呂に入ったら湯船の湯がぬるく感じた(いつもと同じ温度設定だったのに)

 

こんな感じでちょっと拍子抜け。

ただ、夜になって「なんだか今日は早く寝たほうがいいのかも?」と漠然と思う。

 

なんだか早く寝たほうがいい感じがしたので、12時前には布団に入って眠りについた・・・

はずなのに

 

すごく寝苦しかったみたいで

何度も何度も寝返りをうつ。

頭から布団をかぶって、その中で体を小さく丸めたり、

両手両足で布団に巻き付いて、ぎゅーーーっと締め付けたり、

右へゴロン。

やっぱり左へゴロン。

「お願い私を眠らせて・・・」と思いながら

ジタバタしている自分。

 

汗はかいていなかったので、たぶん熱は出ていなかったと思われ・・・

でも、あんなに布団の上でジタバタさせられたことって今までなかった気がするので

「う〜〜〜〜ん、これがまさにワクチンの仕業ってことか」

と妙に納得。

というか、あまりの分かりやすさに感動。

 

 

翌日(金曜日)

やっと寝苦しさから開放されたときは、すっかり朝になっていたようで

そこから爆睡。

11時まで爆睡。

熱はなし。

とにかく眠い。

でもお腹が空いたので11時過ぎに起きて梅干し茶漬け。

食欲はある。

でも、まだ眠い。

そして布団の上にいた時間が長かったせいか、腰が痛い。

というか腰がだるい。

ずっと寝てたのに、足もだるい。

膝から下、ふくらはぎのあたりがすごく疲れてる。

この足のだるさは・・・久しぶりにハーフ走ったあとの疲れに似てる

 

そして、足と腰の、このだるさ…

体全体がもわ〜〜〜っとだるい感じ、なんだか懐かしい。

あぁ、そうだ。

生理の時のだるさだ〜・・・

 

 

これが1回め接種後の副反応。

久しぶりに長い距離を一生懸命走った後のような足のだるさと

しばらく忘れていた生理のときの足腰の重さ、

そして、なんだか知らないけどとにかく眠い。

 

 

あの時、体に入ってきたほんのちょっとの液体(ワクチン)が、体の中をめいっぱい駆け巡って、いろいろ頑張ってお仕事してくれている

 

そう実感できて、なんというか、とても面白い体験でした。

 

その “皆さんのお仕事” も、まる1日ほどで一段落したようで

接種2日後の土曜日には、ほぼ普通通りの生活に戻っていました。

念の為、走るのは控えておいたけど。

 

そう。

そんな感じで1回目のワクチン後は、さほど重くない副反応が分かりやすい形で出てくれたなぁ〜・・・と思っていたら

 

土曜日の夜

なんと下唇にヘルペスがぷっくり

 

子どものころから体調崩したり疲れが出たときにお約束のように出てきた唇の水ぶくれが、ワクチンとの闘いに一段落ついた(?)タイミングでしっかり顔を出すとは。

 

ホントに分かり易すぎる。

 

人体の不思議を自分の体で感じることが出来た今回のワクチン体験。

私にとってはかなり面白い体験でした。

 

次はどうなるのかなぁ〜

今度は熱とか出るかなあ?

かめかめ波体験・・・?

 

ということで副反応記録②に続く。

 

***************************

 

※もちろんヘルペスはこの薬で数日で完治。(使用期限は気にしない)

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コロナ禍に36年ぶりにまっさんの歌を生で聴く <後編>

 <前編>を書いてからあっという間に1ヶ月以上経ってしまい、気がつけばもうオリンピック…(今日NHKで再放送していた『いだてん』の最終回を偶然見てしまい、切なすぎてマジ泣いた)

 

 このままだと「やっと梅雨入りしたね〜。」などと言いながらコンサートに行った6月15日のことが遠い昔のことになってしまいそうなので(・・・すでになってる気もするが…)<後編>、書いておこう。

 

10代の頃にさんざん聞いていた、まっさんことさだまさしのコンサートに、50代になって30年以上ぶりに行くことになり、

 

そのブランクの長さはどう頑張っても埋められそうにないけれど、

 

それでも気分を盛り上げるために【さだまさしベスト】ファンでなくとも聞いたことがあると思われる基本的な(知名度の高い)歌たちが12曲)を聞きながらコンサート会場に向かいました・・・というところまでが <前編> 。

masasingtown.com

     

 実は、この6月15日のコンサートは、今年2月に開催が決まったという「2021年全国コンサートツアー」の2日目。

そう。全国各地へ出かけて行って歌うという、コロナ禍においてはチャレンジングなイベントがいよいよ始まるぞ・・・という位置づけのものでした。

 

 そしてびっくりしたのが、なんとその1年前、私たちの日常生活がコロナがじわじわと侵食され始めた2020年にも全国ツアーを展開していたそうで・・・

そのツアーのスタート地点となっていたのが、今回私が「36年ぶりのコンサート」に足を運んだ、ここ「ウェスタ川越」だったそうで。

 

 世の中あっちこっちでコンサートもスポーツイベントも・・・、いろんなものが中止に追い込まれていた時期に、悠然と(・・・かどうかは分からないけど)コンサート活動をしていた、ということを知って

 

あぁ、やっぱり今もぶれない自分を大切にしながら、それが周りとはちょっと違った感覚と言われようと(いや、誰も言ってないかもしれないけど)信念貫いて歌い続けているんだなぁ…と、なんだか懐かしさと嬉しさが入り混じった気持ちになったのでした。

 

そして、

 『関白宣言』という曲で紅白のオファーがあった時、フルコーラス歌わせてくれるなら出る(≒フルコーラス歌わせてくれないなら出ない…ww)と言い、制限時間なしの特例でフルコーラスでの出場権GET

とか

 「中国の大河の最初の一滴を見てみたい」と、長江をさかのぼるドキュメンタリー映画を撮りに撮影隊を組んで中国へ行き・・・色々あった末に何十億という借金を背負った

とか

 デビュー10周年記念ということで、“音の出る漬け物石”とも言われた10枚組アルバム『書簡集』を発売(30年以上前なのでLPレコード10枚ががっしりした箱に入っていてホントにかなり、ずしんと重かった)

とか

ふるさと長崎で小さな無人島を買い、自身の結婚式もこの「詩島」で行った

とか

 

彼の個性が光る(笑)エピソードをあれこれ思い出し・・・。

 

 今回のコンサートツアーについても、もちろん感染の心配や不安はあったけど

「いや、大丈夫。僕のお客さんは立ち上がって大声で歌ったりする人はいない・・・皆さんもうそんな体力ないww(と、ここで笑いを取りながら)、

だからさだまさしのコンサートはこのコロナ禍でもできると思った。

音楽を止めてはいけないと思った。」

と語る姿に、この道をずっと歩き続けてきたプロの自信と覚悟を感じ、そういう自信に支えられた信念のひとつ〜音楽を止めてはいけない〜が、ここに実現! 

そんなふうに思えたのでした。

 

 

で、そのコンサート。

 

私にとって何が重要、って

どれだけ知っている歌を歌ってもらえるか

これに尽きる、というところ。

 

コンサート前の数日で

懐かしい曲の「復習」はけっこうできたけど

新しい曲(未知のアルバム30数枚分💦)の「予習」はほぼ皆無。

 

だったので

 

いきなり♫北の国からの主題歌が流れてきたときは

ホッとすると言うより、ちょっと拍子抜け。

とりあえず最初は、誰でも聞いたことのある曲にしたのね、と。

 

そして、

♫案山子

♫道化師のソネット

なんか、まだ昔の代表曲しか知らない人にも優しい選曲

 

と思ったところで、トーク。

「おかげさまで4月には新しいアルバムを発売することができまして・・・」

 

あぁ〜〜〜・・・やばい。

 「コンサート」というもの自体が久しぶりだった私は

①ツアーの前にはNewアルバムが発売されていることが多い

②ツアーではそのNewアルバムの曲を中心に歌われる

という基本的なルール(?)をすっかり忘れていたので、「最新アルバムのチェック」ももちろんしていなかった。

 

え〜〜・・・・Newアルバムなんて知らんよ〜〜〜〜(TдT)

 

と、かなりさみしい気持ちになったのと、

「今回のツアーではこのアルバムの曲しか歌いません。しかもアルバムに入っている順番に最初から最後まで全部そのまま歌います。順番通りです。なので、家に帰ってから今日のコンサートの歌を思い出せない・・・ということがあっても大丈夫。すぐに(アルバムで)確認できます。高齢者にも優しいコンサートです。」などと軽快なトークが聞こえたのはほぼ一緒。

 

でも、ラッキーと言うかなんというか。

4月に発売されたというそのアルバムは「セルフカバー・アルバム」の第3弾で、最初から最後まで曲順通りに…と説明してくれている曲名を聞く限り、ちゃんと有名どころの歌を集めている模様。masasingtown.com

この「セルフカバー・アルバム」の1曲めが♫北の国からのテーマ

2曲め、3曲めがさっき歌った2曲ということらしい。

次に続いた

♫無縁坂♫桃花源♫天までとどけも懐かしくて一緒に歌える(※) 歌。      

 (※)もちろん、“マスクの中で静かに口ずさむ”                                                                      

 

結局全14曲のうち一緒に歌えない曲は2曲のみという

長期ブランク克服組にもなんともありがたいコンサートでした。

 

 

3階席最前列ど真ん中。

大きな空間があったけど、自分の真正面にまっさんを見、

その間を漂うライトの明るさ

下に落とした視線の先に広がる客席

その客席にも差しこむライトでゆっくり動く観客の波

あぁ、コンサートってこんなだったよな〜・・

 

バーチャルではこの辺はどうにも再現できないのでは?と思える会場の雰囲気にどっぷり浸かっている幸せを感じました。

 

 

今度はもっと、立ち上がって会場全体で一緒に歌えるようなコンサートにも行きたいなー。久しぶりに。課題は体力だな。

 

そんなことを思った6月半ば、梅雨に入ったばかりの頃のコンサートでした。

2020オリンピック

順番としては
ここは《コロナ禍に36年ぶりにまっさんの歌を生で聞く(後編)》を書くべきなんですが、

気持ちがどうも・・・

 

世の中、いろんな考えの人がいて
いろんな立場の人がいて
いろんな思いを抱えてこの1年、いや1年半・・・?
過ごしてきた人がいることは分かっているつもりですが
でも
この展開は、
可能性ゼロではない流れだとは分かっていたつもりだけど
悔しくて、悲しくて
なんというか 行き場のない想いが(泣)


思えば2020年の第32回夏季オリンピックの開催国が日本に決まった2013年9月7日(日本時間では8日の早朝)は、
春休みでも夏休みでもない時期だったのに、我が家は日本にいました。
エジプトからの退避帰国(7月10日……ってちょうど8年前!)がそのまま本帰国になってしまい、次のハンガリーへの赴任を待つべく “棚ぼたJapanライフ” を楽しんでいた時期でした。


その日の日記には『2020東京オリンピック‼』という文字が赤ペンでぐるっと丸く囲ってあるものの、本文には久しぶりに会ったカイロ時代の友人親子と大宮に遊びに行ったことが書かれていて、最後に一言『それにしても東京でのオリンピック・・・正直ちょっとびっくりした』。

 

このときのテンションは、そりゃ嬉しかったとは思うけどでもそれほど大盛り上がり・・・という感じでもなく。

 

いや、もちろん嬉しかっただろうし、すっごーーーい!! とは思ったはず。

でも、それと同時に
で、その時、私たちはどこにいるんだ??

この先2年、あるいは3年はブダペスト。
でもその先は未定。
東京オリンピックは7年後。

7年後・・・みどり16歳?? 高1??
草太も中2??
こういう微妙なお年頃の時期に、私たちはいったいどこにいるんだろう??

という感じで
まさか東京五輪開催時期に自分たちが日本に住んでいる、ということは
本当に想定していなかったので。

 

ところがところが

 

2018年から日本で生活することになって
その「想定外」だったことが、いきなり「現実」となって

やんややんやと盛り上がってチケットGETして。

オリンピックの自国開催時に日本にいるなんて!!!
こんな奇跡的なことがあってもいいんだろうかっっ!!

くらいに思っていたわけで。


なので、あぁ・・・やっぱり奇跡、っていうか、夢だったってわけ??


と、本当に力が抜けたと言うかなんというか。


やっぱり自分はお祭り騒ぎが好きで
特にこういうスポーツ系の盛り上がりって、どうしても好きで
だから現地のチームに飛び込んで外国人選手に混じって活躍する日本人選手を応援すべく、ハンドボールや水球の試合を何度となく観に行って (@ハンガリー)
そして、そのときに手作り日の丸片手に声を限りに応援した選手の何人かは今回のオリンピックにも出場するわけで。

 

うぅ・・・
生で観たかった。

めっちゃ応援したかった。

 

試合観戦のためにあっちこっちから友人も集結してきて
ちょっとした同窓会(?)になるはずだった。


コロナのせいだ。
コロナのバカ
コロナのバカヤローーーーーーー‼‼‼‼‼


もちろん日本政府の失策ってのもあると思う。
でも、そういうの言い出すと、もう話があっちこっち行ってしまうと思うので
とにかく今は

コロナのバカヤローーーーーーーーーーーーーーーーー‼‼‼‼‼

 

と叫び倒して

次のステップに進みたい、という思いで今日はこれを書きました。

 


頑張っている選手に罪はない。
でも、「なんでオリンピックだけ特別なんだ」という思いに大声で異を唱えるつもりもない。
(たぶん私の中には、どこかに「オリンピックは特別」という思いが少なからずあるんだと思う)


こんなにもたくさんの人に反対され
疑問視され、批判されてのオリンピックもそうそうないと思うけど

そして、こんな状況下でも一生懸命盛り上げようとしている聖火リレーのニュースなどを見ると、
さすがの私も “痛々しい・・・” と感じてしまうけど(関係者の皆さんごめんなさい)

でも
私はオリンピックが始まったら、時差のないこの環境で、
そして《放映権の都合によりご覧になれません》という痛恨の静止画対応に苦悶することなく、
堂々と(⁉)テレビ、ネットで試合観戦し
無観客の中で戦う(今回の場合「闘う」とも言えるかも)選手たちを応援したいと思います。


いえ、選手だけではなく
運営に携わって文字通り闘っている友人にも心からエールを送りたい。


どんな形であれ開催して、たとえボロボロになっても最後までやって
そして、そこから何を学ぶか。
たくさんの学びを得て、それを将来の教訓とする… もうそれしかないんじゃないか、と言った友人の言葉がずしんときました。

 

あと2週間。
もうこれ以上大きな波風を立てずに、2020オリンピックを前に進ませてほしい。

今はそんな気持ちです。

コロナ禍に36年ぶりにまっさんの歌を生で聴く <前編>

 例えば、10代の頃に行ったことのあるミュージシャンのコンサートに、50代になって再び行くことになったら・・・
まず何をするでしょう?


私はまず、自分の“ブランク” がいったいどの程度なのかを知りたいと思い、ソロ・デビューしてから現在まで、シンガーソングライターさだまさしが出したアルバムをチェックしてみました。


 あ・・・、あまり公にしていなかったけど、実は私はさだまさしの歌は若かりし頃(ピチピチの10代の頃)かなり聴き込んでいて(ソロデビュー当時の初期のアルバムは全部家にあったw)、今でも空で歌える歌多数…という「隠れ(いや、今さら隠れる必要もないかもだけど)まっさんファン」


 でも、大学に入った頃から少しずつ “浮気” を始めてしまい、
その後、海外に行ってからはすっかり遠ざかっていたのですが、
図らずも今回、日本での生活が長引いている夫と一緒に、隣の川越市で行われたコンサートに行くことになり。


 と言っても、あまりにもブランク長すぎて。
 ここ数年日本にいるので、最近テレビへの露出が増えているまっさんの「新しめの曲」を耳にすることはあるけど、それでも自分が聴いていたあの頃から、いったい何枚のアルバムが世に出ているんだ?

「超お久しぶりです!」と、こっちは懐かしい気持ちいっぱいでコンサート会場に行ってるのに、そこに溢れる曲はほとんど知らない・・・なんてのはあまりに悲しい。


と思い、ちょっと調べてみて がぴーーーーーーん

オリジナルアルバムだけでも42枚。

発売日 タイトル
1st 1976年11月25日 帰去来
2nd 1977年7月25日 風見鶏
3rd 1978年3月25日 私花集アンソロジィ
4th 1979年4月10日 夢供養
5th 1980年10月10日 印象派
6th 1981年6月25日 うつろひ
7th 1982年12月11日 夢の轍
8th 1983年11月30日 風のおもかげ
9th 1984年12月12日 Glass Age -硝子の世代-
10th 1985年6月12日 ADVANTAGE
11th 1985年12月21日 自分症候群
12th 1987年7月25日 夢回帰線
13th 1988年7月25日 風待通りの人々
14th 1989年1月25日 夢の吹く頃
15th 1990年2月25日 夢ばかりみていた
16th 1990年8月25日 夢回帰線II
17th 1991年7月25日 家族の肖像
18th 1992年11月10日 ほのぼの
19th 1993年10月25日 逢ひみての
20th 1994年10月25日 おもひで泥棒
21st 1995年10月25日 さよなら にっぽん
22nd 1996年10月25日 古くさい恋の唄ばかり
23rd 1997年11月25日 夢唄
24th 1998年9月23日 心の時代
25th 1999年6月23日 季節の栖
26th 2000年9月21日 日本架空説
27th 2002年2月27日 夢百合草
28th 2002年9月26日 夢のつづき
29th 2003年10月22日 すろうらいふすとーりー
30th 2004年9月23日 恋文
31st 2005年9月7日 とこしへ
32nd 2006年9月13日 美しき日本の面影
33rd 2007年9月12日 Mist
34th 2009年6月10日 美しい朝
35th 2010年6月9日 予感
36th 2011年7月6日 Sada City
37th 2012年6月13日 もう来る頃…
38th 2014年9月10日 第二楽章
39th 2015年7月8日 風の軌跡
40th 2017年9月6日 惠百福(たくさんのしあわせ)
41st 2018年7月4日 Reborn〜生まれたてのさだまさし〜
42nd 2020年5月20日 存在理由〜Raison d'être〜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

うちにあったアルバムは7枚目か8枚目まで。

その後、ずらずらずら〜〜〜とほぼ年1枚ペースで続くアルバムタイトルを呆然と見つめ…


でも
そりゃそうだよな・・・
10代だった小娘が結婚して、その子どもがあの頃の自分の歳になっていて
その間、ずっとまっさんは曲を作って、歌って、世の中に出しつづけてきたんだもの。
と、時の流れを感じずにはいられませんでした。

 

とにかく、コンサートまでに少しでも「今」に追いついたほうがいいのではないか・・・
とももちろん思ったけど、
でも、あの頃あんなにしっかり聴いていた懐かしい曲たちをもう一度ちゃんと聴きたいという衝動に駆られ
コンサートの約1ヶ月前から、晩ごはんを作りながらAmazon Musicで1stアルバムから順番に聴き始め。

いや〜〜〜
若い頃の記憶ってすごい。
笑えるくらいに、ほぼ全部歌える。
特にまっさんの曲はストーリー性あるのが多いから、歌が「物語」として頭に入っているので記憶に残りやすい・・・のか?
とにかく、8枚目のアルバムまでは台所仕事をしながら楽勝で歌えた。

 

が、しかし。
その後はだんだんと一緒に歌えない曲が増え、前奏聴いても「ん〜〜?これは?」➡➡ サビの部分になって「あ、この曲かぁ!」と思い出すレベルに。

さらに、映画の挿入歌やCMに使われた耳慣れた曲が流れてきて「あ、この曲はこの時代のこのアルバムに入っていたのか〜。」と、1枚のアルバムに 1〜2曲しか耳に馴染んだ曲に出会えなくなってきたところでコンサート当日を迎え。

 

 私以上に「さだまさしの曲は初期の有名なのしか知らない」という夫とともに
ダウンロードしておいた【さだまさしベスト】 を聴きながらコンサート会場へ向かったのですが、
さて、こんな私たちはいったいどのくらいコンサートを楽しむことができたのでしょうか?


・・・と、この先もこのまま続けると長くなりそうなので、いったん<後編>につづくとして、

 ここで 【秘蔵写真】を。

なんと・・・昔のコンサートチケット発見。

これは本当に奇跡的。

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・・・当たり前だけど、若い。と言うか、若すぎて何がなんだかわからない感じさえする💦

 調べてみたら、上から1983、1984、1985年。

3回も行ってたらしい。自分でもびっくり(笑)

このとき31〜33歳。(あ、私じゃなくってまっさんが)

今のまっさんは69歳。

なんか・・・・すごいよな〜〜〜と、思わずにはいられない。

 

 

 では、<後編>につづく。

 

※この【さだまさしベスト】※ はさすがに全部知ってる曲で、会場に向かう私たちの気持ちを程よく盛り上げてくれました。

 

 

この春、ついにデビューしちゃったかも・・・の話

4月ももうすぐ終わりますが、

今年の春はいつもとちょっと違ったかも。

 

2月の終わり頃、いきなり立て続けに「くしゃん!くしゃん!くしゃん!」と来た時には、時期が時期だし、普段はくしゃみなんてまず出ないのに…ってことで

え・・・?これってまさか。

と、まず思いました。

 

そして

この歳までなんとか無事に(?)春先のくしゃみ・鼻水・目のかゆみ…などとは縁のない生活をしてきたのに、(まあ、この時期必ず日本にいたわけでもないけど)

それなのに、やっぱり私も日本人の国民病とも言えるものとお付き合いしながらこの先の人生を歩んでいくことになっちゃうのー?

 

なーんて思ったりもしましたが

でもまあ、たまたまくしゃみが出ることだってあるしね。

 

と、スギ花粉飛来地在住歴の短さに支えられた(?) 根拠のない「自分は大丈夫心理」が、最初のうちはまだありました。

 

でも、その後も、いきなりの「くしゃん!くしゃん!」は、数日に1回の割合で起こり、

そのうち喉の痛みも出てきて、3月・4月は常にのど飴を切らすことができない状態に。

そう。上顎のあたりがとにかく痛いというか痒いというか。スーパーミントクールのど飴以外は全然役に立ってくれず、薬局でトローチ購入。

 

そして、ひどい鼻詰まり

いつまでも続く鼻詰まり

 

でも、目は大丈夫。

普通にコンタクトレンズ生活OK。

 

う〜〜〜ん。

これって・・・?

 

喉が痛いってことは、まさかコロナ?

 

・・・と、このご時世ですから、そういうのももちろんチラッとよぎったりもして

こんなの見てみたり。

www.ssp.co.jp

 

で、結局 先週の金曜日。

このへんのアレルギー科で、すぐにアレルギー検査をしてもらえそうなところを検索。すると、まさに今の私にぴったり!という病院が家から車で25分のところに。

しかもWebでその日の予約も取れる

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車で25分。

なんと住所は川越。

江原耳鼻咽喉科

[川越鶴ケ島坂戸江原耳鼻科アレルギー科]日曜も診療 Web予約 駐車場有

 

玄関の前は花でいっぱいで(なぜそこを写真に撮らない😑)病院に入るその瞬間に心が和むようなところでした。

 

さて、人生初の「耳鼻咽喉科」

内科、眼科、産婦人科、あとは人間ドックとか・・・なんだかんだで病院にはちょくちょくお世話になっているけれど、「耳鼻咽喉科」は初めて。(たぶん)

 

診察室に入ると、年配の男の先生が私の問診票から目を離し、「じゃ、ちょっと診てみましょうか。」

 

まず鼻。左右の鼻の穴の中を約2秒ずつ。

「ちょっと、口開けて。」 2秒

「次、耳 診るね。」 左右の耳の穴を、やっぱり2秒程度。

 

「アレルギーだね。」

 

・・・まるで「見る前から分かってたけど、一応、お約束なのでね。」と言わんばかりの10秒間診察(笑)

 

でも、何が原因かをしっかり調べたほうがいいとのことで(もちろん私もそれが目的で行ってたんだけど)検査のための採血をして

 

「結果は来週になるから。来週、また(結果を聞きに)来てね。」

 

あっという間に診察終了。

 

と、先生が

「じゃ、そっちで、あれやってってね。」

 

そっち?

あれ??

 

先生が「そっち」と言った方を向くと、診察室の壁際に図書室の自習用スペースのような仕切られたコーナーが4つほど並んでいて、それぞれの机の上に小さな箱のような機械が。

 

看護師さんに言われ、椅子に座り、壁に向かってその箱のような機械をみると、そこから短いホースのようなものが出ていて、その先には2つの突起。

「これは鼻に使うものだ。」と、ピンと来たものの、

さて、どう使うのか。

とりあえず、

2つの突起を、鼻に・・・・入れる??

 

でも、いきなりこれを鼻の穴に突っ込んじゃっていいの??

 

と一瞬、躊躇して、本当によかった。

 

先生が「あれ」と言っていたこの機械は鼻の詰まりを改善させるための吸入器のようなもので、蒸気と一緒に薬も出てくる、というものだったらしいです。

決して鼻の穴には入れず、蒸気が出てくる突起部分を鼻先に近づけていればそれでよろしい。

知っている人にとっては当たり前の、なんの迷いもない「診察の後のアフターケア」?くらいのものなんでしょうけど、耳鼻科初心者にはちょっとハードルが高かった…。

 

 

そんなこんなで無事、診察・検査も終わり

薬(抗アレルギー薬と漢方薬)をもらって

その日は近くのオサレなカフェで優雅なひとりランチをして帰宅。

 

今度の金曜日には検査結果をもらいに再度病院へ行ってきます。

まあ、九分九厘「花粉症です」と言われるんでしょうけど。

 

はぁ・・・

来年からは、こんな綺麗な花を愛でながら「くしゃん!くしゃん!」・・・という生活になるのかなぁ。

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