やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

行ってみたガーナ <世界遺産【エルミナ城】> 2012.3.18

<ガーナで世界遺産>

  3泊4日という短いガーナ旅行でしたが、それでもがんばって「世界遺産」を見に行ってきました。


  実は出発前、「ビーチで遊ぶという選択肢もあるけど・・・子どもたちは世界遺産よりビーチのほうがいいんじゃない?」とOさん(ガーナ在住。ハノイ時代のお友達)から相談のメールをもらっていました。世界遺産といってもそんなに“ぜひ一度は見ておきたい!”というものではないような感じもしたし(・・失礼!)確かに子どもたちにはちょっと退屈かも、と思ったのですが一応、子どもたちに相談。
そうしたらなんと「世界遺産!」とみどりが即答。
 思わず「世界遺産って言っても、ピラミッドみたいのがあるわけじゃないんだよ。」と口から出てしまいましたが、それでも
「そこの有名なものを見てみたいの。」とみどり。
そして、横からは「草太、海、いやだ。」

 そう。プールで遊び慣れている我が家の子どもたちは、実は海の波がちょっと怖かったりして、可哀想なことに海で楽しく遊ぶすべをまだあまり知らないのです。

 そんなわけで、大人たちの予想に反して子連れ旅行の私たちは「世界遺産」を見に行くことになりました。


 そのガーナの「世界遺産」については・・・私も意識して調べるまで全く知りませんでした。

 私たちが行ったところは【エルミナ城】という、ギニア湾沿いにある“お城”なのですが、
そこは、15世紀(1482年)にポルトガル人によって建てられギニア湾での最初の交易地となったあと、大西洋奴隷貿易の拠点となったという「負の遺産」を背負った【文化遺産】でした。 =ガーナの世界遺産 http://bit.ly/HkJ4x1
 

 ガイドブックなどにもよく出ているドクロの印が印象的な部屋。
ここに入れられた人たちは、もう決して外へ出ることはできなかったそうです。体が弱っていて、今後奴隷として働かせるのは無理と判断された人たちを「処分」するための部屋だったのかと思ったら、反抗的な態度をとった人を見せしめのため閉じ込め、水も与えず餓死するまで扉を閉めきっていたのだと、あるブログに書かれていました。 =ハラレのラバディ日記8 http://bit.ly/HfqdzS

アフリカ各地から連れてこられた男性の「奴隷」たちの部屋。
部屋といってもただ広い空間があるだけ。寝るときの布団もなし。トイレも隅の方に穴のようなものがあるだけ。
既に人間扱いされていなかったことが分かります。
 
 子どもにとっては特に面白い場所でもなく・・・そして、カイロにはまだやってきていないこの暑さのせいで草太はヘロヘロ。
よく見ると、この入口の上には「FEMALE SLAVE DUNGEON」(女性の奴隷用獄舎/収容部屋)と書かれています。
写真にはうまく残っていなかったのですが、女性用の部屋は日当たりの良いテラス(中庭)のようなところに出られ、そこには井戸もあって水をくんだり出来るようになっていました。そしてその空間は、建物の更に上の方から見下ろすことができるような構造になっていました。そこのボスが中庭に出てきた女性たちを上から品定めできる・・・そういう構造になっていた、ということらしいです。

この先に続く通路を進んでいくと

向こうに鉄格子のドアが。

ここから奴隷たちは船に乗せられたそうです。


今は遠くに見える海岸線。
でも当時は、この鉄格子のすぐ下まで海の水が来ていたそうです。


 もともとは金や象牙やスパイスや・・・そういう貿易で栄えていたところで、大きな倉庫が必要ということで建てられたこのエルミナ城。それが時とともに労働者を売り買いする「奴隷貿易」へと変わり、“お城”は何度も改修さて、奴隷貿易の一大拠点となっていったのでした。
 

暑いし、話題は暗いし・・・、
でもやはりここで起こったことは「知っておくべきこと」なのでしょう。
修学旅行らしい団体が来ていましたし、
今回一緒にここを訪れたSさん家族のお嬢さんも来週スクール・トリップでここを訪れる予定だと言っていました。


お城から眺める景色はとてものどかで優しい感じ。


「負の遺産」としての【世界遺産】。

 そういうものもあるんだよなー・・・
などと思いつつ、やはり【世界遺産】でがんだるまを1枚撮らなくては、と思ったら、
つい笑顔になってしまった私たち。

※「がんだるま」についてご存じない方はこちらをご参照ください。=カイロに広がる「がんだるまTシャツ」http://bit.ly/kQBCQ4


 お次は、<国立公園&吊り橋>ですよ〜〜!!