やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

行ってみたガーナ <野口記念医学研究所> 2012.3.16

        <プロローグ>を書いてから、すでに1週間が過ぎていますね^^;

 
 そんなわけで、なんとか無事入国できたものの「久々の暑さの中、このエアコン故障のX-trailでこれから移動&観光?」・・・とちょっと不安になったりもしましたが、それもOさん(ご主人)のドライバーさんへの適切なる電話での指示と、それに迅速かつ的確に従ってくれたドライバーさんのおかげで、Oさん宅で美味しいお昼ごはんをいただいている間にエアコン修理無事完了。

 アクラの空港に降り立ってから3時間後には、私たちは早くも第一の目的地【野口記念医学研究所】へと向かうことができたのでした。



【野口記念医学研究所】と【野口英世記念日本庭園】
 そう。ガーナに来たら日本を代表する世界の偉人野口英世博士に会いにゆかねば、です。
 ウィキペディア 野口英世より:http://bit.ly/aUg8h3

 なんたって日本のお札にまでなっているお方なのですから。
 

***全くの余談ですが***
 こちらガーナのお札。 どの紙幣も同じデザイン(色違い)で、全部にこの6人の皆さんが描かれていました。
  で、こちらがエジプトの紙幣。 
***余談終了***

 
 アクラの空港近くのOさん宅から、街の中心地に向かって車で走ること、約1時間。
【野口記念医学研究所】は、「コレブ病院」という大きな病院の中にありました。

 野口英世がここ、アクラの「コレブ病院」で黄熱病の研究を始めたのは今から85年前(1927年)。そして、なんとアクラ到着後わずか半年で自身が黄熱病にかかり、この地で命を落としたそうです。

 さて、病院の敷地に入った途端、あちらこちらにこんな案内板が。
 ⇐世界の偉人、野口英世がこんな漫画チックに描かれちゃってていいの?とちょっと思う。

 親切な案内板()があちこちにあるにも関わらず、めざす【野口記念医学研究所】がどこにあるのか分からずにウロウロしていると、関係者らしき人(?)が「今、カギを持ってきてやるから待っていなさい。」

 そしてその後、この余りにもインパクトの強いシャツを着たおじさんがいそいそとカギを持って現れたのでした。

入り口の横にはこんな記念プレートが。
 2006年には小泉純一郎首相(当時)もいらしているようです。

 ドアの向こうはきれいな研究室。野口英世が実際に使っていたところだそうですが、今も医学生用の授業で普通に使用されているそうです。黒板の走り書きの文字に「うっ!これはまさか野口博士が書いたものがそのまま残っている・・・??」などと一瞬思ってしまいましたが、そんな80年以上前のチョークの文字が今も残っているわけないし・・・・。


 この研究室の横に小部屋があり、そこが野口英世に関する資料展示室のようになっていました。
 実際に使用していた顕微鏡など。

 
 本人直筆らしい『忍耐』の文字や、教科書や伝記には必ず登場するお母さん(シカさん)の写真(右から2番目)など。
 野口英世が研究や学会等で訪れた国々。初めてアメリカに行ったのが24歳でアクラで亡くなったのが51歳。その27年間でこれだけの国(都市)を周るとは・・・しかも80年以上前に。

 亡くなる直前の体温の変化を記したブラフ。これを見ると、最後の数日は40度くらいまで熱が上がっていますが、それまでは36〜37度を行ったり来たりしている時期が長く、「死の淵をさまよった」という印象は全く受けませんでした。

 ほかにも貴重な資料がいろいろ残されていましたが、あまり念入りに写真に残して来ておらず・・・。
 でも、この研究室を訪れた方が書かれたブログもたくさんあるようですので、ご興味のある方はそちらもご覧ください。


 尚、この【野口記念医学研究所】はガーナ大学医学部附属の研究所として1979年日本の資金援助で建てられたもので、現在でもマラリア、エイズ、結核などの研究が盛んに行われるなどアフリカの伝染病研究の中心的役割を果たしているそうです。


 研究所の外には、【記念日本庭園】もあるというので行ってみました。
 先ほどのおじさんが案内してくれました。
 写真を拡大できる人はおじさんのシャツに注目!!このド派手なシャツ。よく見ると“Roll back Malaria”(マラリア撃退)と書かれています。まさかこれ、研究所のユニフォーム?


 案内されたその庭園は研究所のすぐそばにありました。
私たちが訪れるほんの4ヶ月前(2011年11月)に新たに整備し直されたばかりだそうで、さすがに綺麗な庭園でした。
 入り口
 
1962年【記念日本庭園】誕生。1992年大幅な庭園整備。2011年再び大整備・・・こういう気候だとメンテナンスもさぞ大変なことでしょう。


 午後4時ごろ。まだまだ暑い中、記念撮影。足元の小石は「絶対日本から持ってきたに違いない」というほどまんまるでつるっつるの綺麗な石たちでした。
 ああ、ここ(大きな石)にも野口英世が好んで使っていたという『忍耐』の言葉が。

 
 ということで、30分ちょっとの短い【野口記念医学研究所】と【日本庭園】の見学は終わりました。


 このまま<世界遺産>見学まで書き続けるとまただらだらと長くなってしまいそうなので、続きはまた次回・・・。

 

<おまけ>
 ガーナの旅や野口記念医学研究所について書かれたブログ(の、ほんの一部)

・おやじのぼやき  http://bit.ly/xIVf4X
・野球小僧 in Ghana  http://bit.ly/HHgmak
・2人の世界旅  http://bit.ly/Hb5l0a
・根本謙のロンドン最新事情 第14報 ガーナと言えば◯◯  http://bit.ly/HWZPwg
・世界100カ国の旅 ガーナ  http://bit.ly/Hb7gSh