夏休みが一段落して、慌ただしくも規則的な日常が始まりました。
「夏休みの思い出」なるブログ記事を書きかけのまま、子どもたちも夫もいなくなった(登校&出勤した)平日の午前中、ふと目にしたブログ。
山崎やよいblog: 慟哭http://yayoi-yamazaki.blogspot.com/2012/08/blog-post_30.html
『何かを言おうとしたが、彼の勢いに負けた。彼は、繰り返した、我々の血は人間の血じゃないのか、と。』
私の友人にもかつてシリアに住んだことのある人が何人かいます。
「自分が住んでいたあの田舎町はいったい今、どうなっているんだろう・・?」
と、時々つぶやくようにmixiやFacebookに日記を書く彼ら。
自分のかつての任地が今、あんなことになっていたら・・・・
と思うと、
いえ、正直言って、想像することすらできません。
「人々に関心がないことが問題だ」
「どうして目を背ける?どうして正面からこの恐ろしい現実を受け止めてくれようとしないのだ?」
と、いう声もよく耳します。
でも、私たちがこの事実を知ることによって、
いったいなにが変わるんだろう?
という思いも、どうしてもぬぐえません。
少し前にFacebook上の『シリア革命−日本の協同 (Syrian revolution - Japan Coordination)』というグループの中で紹介されていたビデオ。
そのあまりの映像に、私は最後までそれを見ることができませんでした。
これほどまでの現実を、私たちは知らなければならないのだろうか?
知っても何も変わらないけれど(現実問題として何もできないけれど)、でも知らなきゃいけない・・・そういうことなのでしょうか??
それとも、やはり、知ることによって何かが変わるのでしょうか?
それとも、「知らない」(誰にも知られないところでこういう現実が起こっている)ということが問題だから、だから「知ってほしい」ということなのでしょうか?
なんだか、本当にわからなくなってきてしまいました。
※上記でご紹介した映像には、各方面からいろいろな指摘がされているようですので(映像作成の経緯についてなど)Facebookのアカウントをお持ちの方はぜひ『シリア革命−日本の協同 (Syrian revolution - Japan Coordination)』http://on.fb.me/zb4fFs の投稿ページをご覧ください。日本語での内容解説もあります。