やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

<退避帰国日記:2月1日>

〜2度目の100万人デモ!? そして初のムバラク演説〜

  今日一日をこの家で過ごしたら、しばらくはカイロともお別れ。
無事に出国できるよう、極力無駄な(あるいはもしかしたら危険かもしれない)行為は慎むようにしよう・・・と思い、この日は一日、家にいました。

  ずっと家にいましたが、幸い私たちはアパートの15階に住んでいるため、窓から外のようすがよく見えます。
これは、朝7:30ごろのタハリール通りです。この通りを向かって左側にずーっと歩くと「タハリール広場」まで行けます。地下鉄で2駅です。

 まだ夜間(というか前日の午後からの)外出禁止令が解けていない時間帯なので、人通りはほとんどありません。
車が通っていないだけでなく、路地の違法駐車もほとんどみられず、あまりにもすっきりしていて何か物足りないくらいに見えます。このほかにも窓から見える風景を数枚写真に撮りました。またカイロに帰ってきた後、今まで通りに「路駐天国」となり歩く場所を探すのに困る状態に戻っていたら、ぜひ「革命さなか」と「革命後の日常」の写真を2枚並べてご覧に入れたいと思っています。

  
  さて、この日も夫だけはいつものごとく近所(最寄りの地下鉄駅)に新聞を買いに行きました。
ところがこの日も英字新聞は全くなかったそうです。
普段は毎朝、出勤前に英字新聞を買って地下鉄に乗っていた夫。
でも、1月28日(金)の大きなデモの翌日からは英字新聞を全く見かけなくなった、と言っていました。

  
  この日は朝から「2度目の100万人デモ」が計画されている・・・との情報がありました。
「1度目」は、先週の金曜日28日のことでしょう。そして4日後にまた? と思ったのですが、なんと夕方近くになるとタハリール広場に200万人近く集まっている、という情報も夫の同僚から入ってきました。ネットが遮断されたとたん“陸の孤島”となった我が家のために、夫の同僚Gさんは、退避帰国までの数日間、定期的にカイロでの動きについての最新情報を電話で知らせてくれていたのです。
  実は、我が家はこれまでほとんどテレビに頼らない生活をしてきたので、テレビは普段はパソコンのモニターとして使われており、NHKもアルジャジーラ(中東の社会・文化についてアラビア語と英語で放送している衛星テレビ局) 
も見ない(きちんと手続きを取っていないので見られない)生活をしておりました。これが今回は痛かった。私たちが見られるのは、エジプトのローカル放送のみ。アラビア語だから理解不可能だったのは言うまでもなく、さらに・・・のちに『国民のみなさんに(上からの圧力で)嘘の放送をし続けた。もうこんなのはイヤだ。』と職員が退職してしまった・・・そんな放送局が流していた“情報”しか見ることができなかったのです。

 その時の映像をほんの数分間ビデオに撮っていたのでそれをここに貼り付けたかったのですが、どうもうまくできません。とりあえず、今日は写真のみ。あとでまた動画に切り替えるかも。(師匠に手ほどきを受けて)

 画面左側の人が群がっているように見えるのがタハリール広場。
でも、この映像を見ていた夫が「ずいぶん整然と並んでいるんだよねー。」と感心するやら首を傾げるやら・・という感じで言っていたのですが、実は後で聞いたところによると、この位置に集まっている人たちは「ムバラク支持派」たちの集団だったとか・・・。

 そして、右側の車通りの少ない橋の映像は、すでに外出禁止令が出ているため「もうほとんど誰も外には出ていませんよー。」ということを示したかったのか、いつまで経ってもこの位置からこんな感じの街の俯瞰図しか写されていない状態でした。

 そういえば、海外脱出組が殺到し「まるで地獄絵図だった(友人談)」という空港のようすなども全く写してくれませんでしたので、この時期の私たちは日本で普通にニュースを見ている人よりも「今のカイロの姿」を目にする機会がなかった、ということかもしれません。
  
  普段はインターネットを駆使して「最新情報を得るのはお手の物」という主(あるじ)に支えられている我が家でしたが、この時ばかりは本当に“陸の孤島”〜情報から隔絶されてしまった一家〜となっていたのでした。



   さて、この日の夜も子どもたちを寝かしつけた後、自警団のみなさんに差し入れを持っていきました。
その晩は、玄関前に座っている人たちからもよく見える位置にテレビが置かれていました。
私たちがそのテレビに気づいたことを察知すると、

 「もうすぐムバラクが演説をする」
 
  座っている人たちが言いました。

 「退陣について?」と夫が聞くと、
 「何についてか詳しいことはわからないけど、とにかくあと数分で彼がテレビで何か話す」というのです。
 さらに
 「彼には、片道キップをあげたいね。」と年輩の人が。
 やっぱりこの辺の身近な人たちもムバラク退陣を願っているんだ・・・とぼんやり思っていた私に
 「でも、こういうことが言えるようになったってのがすごいことだと思うよ。」と夫。

 
  そしてもちろん急いで部屋に戻り、テレビをつけました。
  ローカル放送しか見られない我が家。
  でも今だけはみんなと一緒に「最新情報」に触れられる・・・!そんな嬉しさがありました。


   ところが。

 いくら待っても、それらしい放送は始まりません。
 部屋に戻ってきたが9:30pm少し過ぎ。
 まる1時間待っても、上記の写真のような映像を繰り返し流すか、愛国心を植え付けるかのような歌(我が心の故郷エジプト〜♪ この国のために私たちは生きる〜♪ というノリのプロモーションビデオ)が流れるだけです。

 しびれを切らして、夫は「もう寝る」。

 
 私はなんだか悔しくて、とにかくそれらしいものが出てくるまで粘っていたのですが、
 午後11時。

 やっと始まりました。

 確か、英語で同時通訳が入っていたと思うのですが(・・・通訳無しだと理解度0)
 それでもお恥ずかしながら内容がよくわからず・・・
 ただ、

 「私はこの地で頑張ってきた。ここは私の国だ。私はこの祖国で死にたい。」

 というようなことを言っているのは、なんとなくわかりました。

 それから

 「次の選挙(9月の予定)には出ない」と言っていたのも。

 ほほー・・・!
次は出ないのか。
でも、息子が出るんじゃあんまり意味無いような気がするんですけど・・・・
でも、とにかく自分は今期限りって自分から言ったわけか。


 けれども、これをエジプトの人たちがどう取るのか、私にはよくわかりませんでした。

 次の選挙には出ないって言ったって、「ってことで9月までは私がやるから」と宣言したようなものですし。

 ここで「私は辞める」なんて言ったものなら、その場で花火が打ち上がったり窓の外から雄叫びやらが聞こえたり、一瞬で大騒ぎになったのでしょうけど・・・


 我が家の周りは静かでした。

 まるでテレビを見ていた人たちみんなが
「つまり、どういうことよ??」としばらく考える時間をもらっているかのようでした。

 そのあと5分ほどしてから銃声のような、爆竹のような音が聞こえましたが、それもたいした音ではありませんでした。

 後から聞いた話だと、場所によっては銃声と罵声のようなもので騒然としたところもあったそうですが。


 
 それにしても、今になって思えば彼は同じような演説を二度も続けてしてしまったわけですよね。二度目は言うまでもなく、退陣前夜の、あの「大どんでん返し演説」。

 
 でも、この時点では、
「この演説で多少は納得する人も出てきて、ある程度治安も落ち着くのでは?」という思いもありました。


「もしかして、明日あわてて出国する必要はないかも・・?」

「カイロを出たとたん落ち着いてきちゃって、日本に着いたとたん、すぐ逆戻り・・・ってのは、やっぱイヤだなあ。」

 そんなことを思いながら、ベッドに入ったのでした。